生涯の節々ー御囲章木版画展

生物は生きるために自分に不必要なものを排出する。
これは動物にも植物にもあること。
植物だって動物にはない光合成があるが、酸素を排出したり二酸化炭素を排出したりする。その時に不必要なものは自分にとっては「毒」ということなのだろう。

動物でも植物でも必要なものを取り込み不必要なものを適切に排出できる能力の高いものは生命力が高いといえるのではないだろうか。

御囲作品に生命力を感じるとしたら同時に不必要なものを排出する能力の高さ「毒」も感じるのは必然だと思う。

人格(?)を持つ植物のようなモチーフはモリモリと生きている。
そして作品は御囲章そのものだ。
安心してほしい。「毒」は排出したものにとって「毒」なだけで、他の命まで犯していくわけではないのだから。

 

本当の思いー御囲章木版画展

「本当の思い」
この作品のタイトルです。

この作品だけでなく、御囲章さんの作品タイトルはなかなか深い意味があります。人格(?)を持った植物らしいモチーフなのでここには思考がある。何も考えない存在ではない以上意思があるわけで、タイトルはそれが何なのかを探る手掛かりになるはずです。

「本当の思い」とあるからには本当ではない何かで隠されているのだろうか。
そう考えるとこれは相当手ごわい抽象的な感覚がありそうだ。

画面の下のほうにリボンが結ばれているように見える。
ピンクの花のようなモチーフ。
花束には見えないけれど、花束のような何か。

「本当の思い」は花束のような何かのどこかに見え隠れしているのだろうか。
あちこち向いている花の芯は思いの方向だろうか。

まだ私には見えてこない。

豊かさの成り立ちー御囲章木版画展

御囲章さんの作品は今回の個展ではどれも植物だと思われるモチーフで構成されています。

誰もが架空の植物だと思うはずです。

ある時「植物っぽいものは描くけど、動物って描かないよね。」と尋ねると「確かに飛んだり跳ねたりするような動物っぽものは描かないですね。ただこれが植物だという意識はしていません。もちろん形状として植物らしいとは思っていますが、むしろそれぞれに人格のようなものは意識をしています。人ってどこでも自由に動けると言われているけど、しがらみに縛られたりするし、その土地に根を張るなんて言われます。じっくり腰を据えることをよしとすることも多い。そして案外同じところにいますよね。僕の作品の植物のようなものには土に少し埋まっている根というか足があるイメージなんです。」とおっしゃいました。

確か前回の個展のときも絵の題材は電車の中で見た人だとか公園でおしゃべりしていた人だったりなんだとおっしゃっていました。

具象に見える御囲作品は彼のフィルターを通ることで他人が見たら具象の植物のように見える抽象的な世界ということなのだろうか。

まだまだ謎は解けない。

直接の教えー御囲章木版画展

今回の御囲章木版画展で一番の大作です。
92×60㎝。
ネットではどの大きさの作品も同じ大きさの写真にしますので大きさの感覚が伝わらないと思いますが、目の前にすると本当に大きい。

この大きい作品を木版画として彫って刷るわけですから、どんな労力をもって制作したのかとそれだけでもぎょっとします。

そしてまたそこにある形がとんでもなく迫力がある。他の作品と同じ大きさの写真にしてもこの上のほうにある花の真ん中あたりから垂れ下がっているような丸っこい物体はすごい生命力で迫ってくる。

前回の個展の時も紹介したのですが、御囲さんは弱視です。しかも垂直の線が見えないという特殊な障害を持っています。
悔しいことに、この大迫力の作品の全容を彼は見ることができません。
こんな大きな作品、少し離れなければ全体像が見えない。それなのに離れてしまったら彼の視力では見えないのです。

見えなくてもこの迫力を作品にしたい。
この切なさ。

彼の特殊事情を多くの人が知る必要はありません。
だけど見る人が観ればその切なさは作品から透けて見えるのです。具体的なことは見えません。見えなくていい。むしろそれが見えてはいけない。

表現したいという切ない気持ちが大きければ大きいほど作品から放たれる生命力は強烈になるのかもしれない。

ひらめきの素ー御囲章木版画展

御囲章さんが「緑」を作品に使い始めたのは4,5年前からです。
植物由来のモチーフの作品なのになぜ「緑」を使わなかったのか?

「緑の使い方に自信が無かったんですよ」と。
まさかの緑コンプレックス。

「こうやって緑を使うようになった今も実はこの緑は緑のインクを使っているのではなくて、黄色と青を重ねて出ている緑なんです」とおっしゃいます。

もう1つ理由があるそうで、それは表現の重さとして「緑」がしっくりいかなかったのだと言います。こちらのほうがきっと大きな理由だったんだろうと思います。

御囲さんと同じ感覚を持っているわけではないのでこれについては頭での理解でしかありません。感性としてはもしかしたらずっとわからないのかもしれません。今の私にはわからないけれど、すぐにわかった人もいるはずで、それがそれぞれが持つ感性なのだと思います。

ではなぜ「緑」を使ったのか。
それまで「オレンジと黄色」「水色とピンク」で構成してきた色の世界をもう少し広げたかったからだそうです。色が広がれば世界観も変わる。

以後「緑」を使い続けているところをみると、心に収まるものがあったのでしょう。これからもきっと別の色が出てくるのだろうし、出てこなくなる色もあるに違いない。まだまだ進化し続ける御囲章さんです。

 

活きる糧が来た時ー御囲章木版画展

御囲章さんの作品を初めて目にしたのはもう5,6年前だったでしょうか。
「強いな」というのが正直な印象でした。

実は私には強すぎて作品と向き合うことができなかったんです。
向き合うまえに下向いてすごすごと引き下がったと言えば一番正確かな。

それ以来何度も個展を開いていただいているのになぜか対等に向き合えないでいました。これは作品の好き嫌いや完成度の問題ではなくて、私の心の強度の問題なのではないかと思う。

今回、搬入の日、今度こそ向き合える気がしました。

御囲さんにその旨お話しすると「こちらが少し丸くなったんじゃないですか?」とほほ笑んだ。その瞬間またすごすごと引き下がりそうになったのですが、今度こそ向き合うのだとこちらも強気になってみました。

「まああのころに比べると、色の強さも控えめになっていますし、慣れていただいたのではないでしょうか」ともおっしゃる。
確かに初めて作品に向き合ったころも「活きる糧が来た時」と同じ色合いの作品が何点もあって、そのオレンジと黒のせめぎ合いはもっと強烈だった。あのころに比べるとオレンジの分量が随分少なくなってその分白の割合が多くなっている。結果優しい感じがする・・・。

「優しい・・・」優しくはない。めらめらと燃える炎のような形は決して優しくはないし、そのなかで成長を続ける生命体のようなものは生きるために毒気すら放っているではないか。これを優しいとはとても言えない。

それでもなんだか向き合えるようになった。
慣れたのかなぁ。丸くなったのかなぁ。

まだまだ分かり合えないのだけど、だからこそまだまだ見続けなければならない。

御囲章木版画展ー「飽きない日常」

一版多色刷木版画の御囲章さんの個展です。

着々と2年に1度個展を開催していく御囲さん。
「飽きない日常」というタイトルにその制作に対する姿勢というか考え方がそのまま出ているような気がします。

日々着々と生きるということは秘めたパッションを一瞬にして噴火させることなくそれを持続させていくことなのかもしれません。日常に飽きるとは持続させられないということだろうし、普通は飽きるものなはずだ。「飽きない」ってよく考えるとかなり難しいこと。

彫り進めという超絶技巧(本人はそうは思わないらしい)の世界と彼が表現したい何かがリンクするものとかいったい何なのか見えてくればいいです。

ぴんぽんまむ*フレンズー石川真海きものクリエイション

2022年11月10日(木)ー20日(日)*火曜休廊
正午ー午後7時(最終日は午後5時まで)

ぴんぽんまむ・黒田商店・下駄Lab.・COCCO+・近藤美和・靜和・蒼空・
はにぃ屋・横山正美

◎実演販売
下駄Lab. 11/12(土)14:00-18:30
20(日)12:00-16:30
下駄Lab.出品の下駄お買い上げの方のみ、お好みの台にお好みの鼻緒をあなたの足に合わせ  て挿げます。(無料)
◎ワークショップ
滄空   11/14(月)15:00-17:00
職人仕様の指貫を使ってちょっとだけ本気の巻き上げ絞りで手拭いハンカチを作りましょう。(2000円・要予約)
◎ワークショップ
COCCO+   11/18(金)13:00-18:00
*所要時間1時間
ミニミニ織布にキッチュなパーツや異国のパーツを縫ったり貼ったりしてブローチまたは帯留めを作りましょう。(ブローチ2000円、帯留め2500円・要予約)
◎ワークショップ
ぴんぽんまむ
会期中のみ通常10000円以上の着付けを3000円で承ります。出品のアンティーク着物お買い上げの方は無料で着付けします。(要予約)

warm&coolー最終日

「warm&cool」は本日最終日です。

次回は10月27日(木)から「御囲章木版画展」です。
超絶技巧の木版画から御囲の強く激しい生きる力をご覧ください。