自分らしさとはー御囲章木版画展

先日来技術的な話ばかりになっていたけれど、最も大事は作品の本質的なことを掘り下げてみようと思います。

植物的なモチーフではあるけれど、植物を描いているわけではない。

自然界を見回してみると、植物が繁茂しているところではいろいろなことが起きています。成長の先がぶつかることがある。うまいことお互いが回避することがある。元々小さくしか育たない種のそばに大きな種が発芽して日陰を作り小さな種が絶えることもある。日影があるからこそ育つ種もある。同種の植物を見たって個体が持つほんのちょっとした生命力の差が生き死ににまで大きくかかわることだって自然界には当たり前のようにある。

人の世界にも似たようなことがあるのではないだろうか。
強面の人からはできるだけ離れていようとするし、仲良くできそうな人には積極的に近づこうとするではないか。

植物だって人だってそんなアクションには必ずエネルギーを必要とする。
御囲章さんにとってそれはとても興味深くおもしろいことだったから絵(版画)にしたのだ。

植物と人は全く同じだと言っているわけではない。ただ、どこか本質的に重なる部分があってそれが彼の創作の源になっているってことを知っていただきたいと思うのです。

微妙な距離感ー御囲章木版画展

作家にとって制作上の悩みは尽きない。
テーマについての取り組みは常に自問自答の日々が続くのは当然のこと。
当然と簡単に書いてしまったけれど、これは本当に深く思い問題。最重要案件なんだけど今日はここは置いておくことにします。

その他に画材問題は大きい。
ここ数年御囲さんにとっては版画家の命ともいうべき版木問題がある。
多くの木版画家は「木=木目」の特性を生かしていく人が多い。一方御囲さんの緻密な画面では「木目」が邪魔になることがあり、それを解消すべく現在の版木に移行したのがほぼ2年前。

長年使ってきた版木からの移行は難儀なことでした。
まず「彫る」と言う作業。右手でしていた作業を左手でやるに等しいくらい手が慣れないのだそうです。2年たってもまだしっくりこない。

それだけでなく、「木目」は解消したのだけど彫り残した線にインクを乗せて刷ると線が今までのようにくっきりは出ない。柔らかい画面にしたかったのだからいいように思うが、この線の出方が理想ではない。

今の版木で自分の理想に近づけることができるのかどうか。理想の線が出たとしてそれが画面全体に効果的なのか。線ではない何かでそこをフォローすべきなのか。まだまだ格闘の日々だそうです。苦しくも楽しい時間なのに違いない。

栄えて久しいー御囲章木版画展

この個展の搬入の日、作品の梱包を解いて続々と作品の全容が見え始めたとき、今までと何かが違うと思いました。そもそも自分の目のピントが合っていない気がしたのです。

ピントが合っていないように思ったのは飾りつけが始まって1時間もするとすっかり忘れてしまうほど気にならなくなりました。

こんな経緯を話すと、「この絵に限って言うと、黄色に白を混ぜて黄色の強さを押さえたんです」と。

他にもあって今までとは違う見え方になったのは今までとは違った仕上がりになる工夫があってのことだったのです。

少し柔らかい仕上がりになった。

御囲章さんの作品はコントラストの強さがこのくらいという過去の私の中でのデータがそう見ようとした結果ピントが合わないような気がしたのでした。

柔らかい仕上がりにしたのだから知っていたくっきりさになっていないのはあたりまえのこと。黄色に少し白を入れたのもそう見せるための工夫だったということです。

何ゆえに?

くっきりしすぎているのではないか。一度柔らかい表現にしてみようと思ったから。で、それは御囲さんにとって満足できたのだろうか?そのあたりについては明日以降深堀したいところです。

日々色々有るー御囲章木版画展

植物由来のモチーフだけど御囲章さんは決して植物を描きたいわけではないということは前回も前々回もブログに書いてきたので記憶されている方も多いことと思います。同じことの繰り返しなんだけど、彼の作品を観るにあたって基本的なことなのでもう一度書きます。

この作品で表しているのは人と人との関係性なんです。
人と人とは分かり合えるようで微妙に違いがあったり、分かり合おうとしたり。そもそも分かり合おうとしている人とそれに拒否的であったり。なかなか一筋縄ではいかないものなんです。

人と人が関わり合うということは膨大なエネルギーを必要とします。
植物の生長のエネルギーと人と人の関りのエネルギーを重ね合わせて表現しているのだそうです。

そして人は植物と違って自由に動けるというけれど、本当にそうだろうか?
人の心なんてそれほど自由ではないのではないかという思い。植物とそう変わらないのではないかという御囲さん的見方で制作を続けているのです。

そのあたりのこと明後日10月20日午後2時からのアーティストトークで聞いてください。お待ちしています。

ストール!ストール!ストール!ー最終日

「ストール!ストール!ストール!」は本日最終日です。
今年の秋冬もストールで暖かくおしゃれにお過ごしください。

次回は10月17日(木)より「御囲章木版画展ーなんとかなってる」です。
10月20日(日)午後2時よりギャラリー内にて御囲章のアーティストトーク(予約不要・入場無料)も開催します。是非お出かけください。

勢ぞろい―ストール!ストール!ストール!

今日は4人の出品者が偶然ギャラリースペースプリズムに居合わせました。
それぞれの作品を身に付けていただきました。

壁に飾っているのと違って作品が活きてきます。

明日最終日です。こんなストールたちに会いに来てください。

林孝子・溝渕美穂・よしだ律―ストール!ストール!ストール!

ストールを落としたことがあるという方案外おおいのではないでしょうか。かく言う私も過去に落とした経験があります。とんでもなく寒い日ではなかったのでコートからするっと落ちたことに気づかなかったのです。当然どこで落としたのかもわからず探すこともできなかった。気に入っていたものだけに残念な思いは10年以上もたつ今でも思い出す度心が痛い。

ブローチでちゃんと止めておけばよかったと後悔。
それでそんな思いをしないようにブローチの提案も今回はしたのです。
ストールを留めるのだから留め金は長めのほうがいい。ブローチだって大きなストールに負けない存在感があったほうがいい。そんないくつかの提案を持った3人の作家林孝子・溝渕美穂・よしだ律の作品もお楽しみいただきたい。

ガラス作家の林孝子さんは光沢のあるきれいな色のガラスが冬色の中で光ります。
イラストレーター溝渕美穂さんは絵の感性をブローチに。厚紙を切り出し色を塗りブローチに仕立てたあとに漆をかけ、軽くて丈夫に仕上げました。
革ブローチの作家よしだ律さんはたくさんの素材を集めることから制作は始まります。今回はクモの巣柄を型押ししたものやカボチャをイメージした色の物などを組み合わせハロウィンを演出しています。

ストールにで参加したおおざる工房さんサノエミコさんもオリジナルのブローチを出品しています。

ブローチもチェックしてみてくださいね。

かとう素こ―ストール!ストール!ストール!

古布でストールを作ってくださったかとう素こさん。
体調不良でしばらく作家活動から遠ざかっていましたが、作家復帰第一作です。

昔は妊婦さんが晒し木綿の反物をお腹に巻いて赤ちゃんを保護したものですが今どきはそんなことをなさる方は随分少なくなりました。反物状だとうまく巻けないのだけどバイアスにたたんで縫っておくと巻きやすくなったそうです。
そんなことを思い出してストールもバイアスに縫ったら体に添いやすいのではないかと素こさんは考えました。

何種類もの古布をパッチワークのように繋げてからバイアスにたたんで縫う。
絞りと大島紬や銘仙など違う布を縫い合わせるのは布の伸び方が違うのできれいに縫うのは骨が折れます。丁寧な仕事です。

ストールの端に羽織紐を付けました。おしゃれです。その重みでストールが落ち着いてくれるのも効果的です。

momij―ストール!ストール!ストール!

フェルト作家momijiさんのストール。
既存の布にウール綿をフェルト化させて馴染ませストールにしています。

「ストールって落とすよね」とか「ストールってせっかくきれいに巻いたのに崩れるよね」とかみなさんがお困りになっていることを工夫しごて落とさない崩れないストールを作ってくれます。それでいてご自分の世界観はちゃんと出している。すごいなといつも感心します。

今回もジレ型のストールが出ていますが、これも皆さんの声に応えての作品です。

襟のようなオーガンジーを使った短いストールも人気です。

おおざる工房―ストール!ストール!ストール!

陶芸家のおおざる工房さんは雑貨の名手でもあります。
ただし精神的には雑貨は本業ではなくあくまで趣味に限りなく近い。それだからといって制作に手は抜きません。むしろ好きなことだからこそつい理想を追いかけてしまうようです。

おおざる工房の雑貨の中にフェルトで動物をパーツとして作ったものがあります。完成品を観るとすこし緩めのキャラで「理想」などという小難しさを微塵も感じさせません。まさに汗を見せない仕上がりと言うことでしょう。案外大人のファンが多いのはそういうところなんだと思います。
ストールにゆる可愛いキャラはまさにアクセサリーです。

本日より通販もいたします。
下記よりお問い合わせください。
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052-953-1839(営業時間のみ)