「描く」ではないー辻將成展

「辻將成展」も明日が最終日となってしまいました。
この投稿が展覧会内容としては最後の投稿となります。

いかにもダンスを踊っている人のように見えるので多くの人は辻作品について「描く」という表現をしていますが、プリズムの投稿の中では一度も「描く」と言う言葉を使っていません。

何度もここで書いてきましたが辻作品はダンスの痕跡を制作しているのであって足や手で描いているのではないからです。

支持体にダンスを踊るためのだいたいの目安となるラインに絵具を置いていきます。ここが唯一意図的に「描く」に近い行為です。

そのあと支持体の上でブレイクダンスを踊る。
痕跡を残すことが辻將成の制作です。

痕跡を残すは、「描く」ではありません。
絵的に美しくしたいのならいくらでももっとドラマチックな画面を作ることができますが、辻さんが思い描いたダンスができたかどうかが重要なので余分な創作はしません。もしそうしたらそれはもう痕跡ではなくなります。

痕跡をどういう方法で残すのかこれからも飽くなき追及は続きます。

小さくなったピースを再構成してみたー辻將成展

ライブでできた小さなピースはとても美しかった。
どれもダンスの瞬間の破片。

「絵」として制作してはいないのだけど、平面の作品だから私たちの目に「絵」として映ってしまうのはいたしかたない。

ギャラリー内に「痕跡」のピースを展示するならかっこよく並べたい。
その結果がこの壁です。

この壁は昨年の「小さな絵の展覧会」に出品されていた作品が展示されていたのですが、ライブ後はライブ作品に替えました。

初日に観てくださった方もお近くにお出かけの際はもう一度寄って見てくださると嬉しいです。

ライブレポートー辻將成展

先日のライブのご報告です。

91×180㎝の黒い板の上でパフォーマンスは行われました。
黒い板はあらかじめいくつものピースに分けてあったものを会場で1枚の長方形(91×180㎝)に組み直し設営しました。

この上に絵具を乗せブレイクダンスをする様子は先日投稿したので割愛しますが、出来上がりは真ん中の写真です。

その作品を元の小さなんピースでも観ていただきました。
小さなピースからダイナミックな全体の動きを見るのはなかなかむつかしい。しかし、ピースに分けたからこそ見える瞬間がそこにはあった。それはそれで小さい面積の中に見えるダイナミックな画面は魅力的だった。

出来上がった作品をピースに分けて観ていただくライブは辻將成さんにとっても初めての試みだったそうです。

瞬間がより鮮明になったことを初めとしていくつもの発見もあった。
大きなキャンバス上での作品は辻さんの心情としても切り分けることができない。必然的に作品が大きすぎて販売の対象にはならなかったけれど、ピースにあらかじめ分けてあるのはばらばらにしていいので販売できる。ライブ参加のみなさんにその場で何点もお買い上げいただくことができました。瞬間が残る作品には多くの方々が共鳴してくださったということだと思いました。

ライブにはたくさんの人が集まってくださいました。4月28日のライブ2回ももう満席になってしまいました。これから予約しようと思っていらっしゃった方々には申し訳ありませんが次回のライブもただ今企画中なのでそちらにお出かけいただければ嬉しいです。

ステップが見える!ー辻將成展

辻將成展ではダンサーの仲間がたくさん来てくださっています。

彼らは「どんなステップを踏んでどこでどんなターンをしたのかよくわかる」とおっしゃいます。なんだかとても羨ましい。彼らには一目でダンスの痕跡だとわかるのだから。

だけど誰もが同じものを見なくてはいけないのだろうか。
そうではないだろう。

ブレイクダンスを知らないからこそ見えるものだってきっとあるし、そもそもダンサーがみんな同じものを見ているわけではないと思う。

観る側の個性と創る側の個性が出会うことで世界は広がる。

ダンスのステップー辻將成展

辻將成さんの制作はまず支持体(描かれるもの)に絵具のチューブから線を絞り出す。

この線は何かを描いたり抽象形態を描いたりしているのではありません。
作品はダンスの痕跡。
ダンスにはステップがあります。どんなステップを踏みたいのかを決めたら、ステップを踏むであろうあたりに絵具を置きます。ところどころいろいろな色も置いていきます。

この過程に随分時間を使っていました。絵具を置きながらダンスの構成を綿密に考えているのだろうことが伺えました。

できあがってしまっている画面からはわかりづらいことだけど、これがブレイクダンスの痕跡を制作する最も重要な場面だと思いました。

何に見える?ー辻將成展

何に見えるか?
何かに見えないといけないのか?

何かに見えなければいけないことは、全くない。

何かに見せようと辻將成さんは全然思ってはいないのだから。
絵として素敵に見えるかさえも考えていないのだと言います。
ブレイクダンスとしてちゃんとステップが踏めてポーズが決まっているのか、それが一番大事。ポーズが崩れたら他人がどんなにかっこよい画面に仕上がっていると褒めてくれても彼は納得しない。

それなのに何かに見えてくるのは観ている人の勝手。

しかし何かに見えてくる。そこには何かあると、私は思っている。本人もまだわかっていない何か。これからわかる日が来るのか。それともそんな日は来ないのか。それも楽しみ。

痕跡を残すー辻將成展

IMG_3912

ブレイクダンスは練習に練習を重ねてもパフォーマンスの時間は一瞬です。
それはそれで辻將成さんは受け入れてはいるのです。

ある時痕跡は残せることに気づきます。
映像化はできるけど、それは記録であり痕跡ではありません。
記録では物足らなかった何かが痕跡にはあることにも気づきました。
手足にLEDを付けて写真を撮ると痕跡は残る。

1つ方法を見つけると嬉しい、けれどいつかは飽きる。
痕跡は残したい。

ある時ダンスフロアに残るダンサーの靴跡にダンスの痕跡を見た。
これを自分の表現に取り入れたい。
この思いが今回の作品のスタートでした。

今日4月20日から5回のライブが予定されています。
有料(1000円)で要予約ではありますが。是非お出かけください。

③4/21(日)午前11時ー
④4/28(日)午前11時ー
⑤4/28(日)午後6時ー

まだ若干のお席を用意できますので是非ご予約ください。
withsns.prism@gmail.com

ブレイクダンスに明け暮れた日々ー辻將成展

中学3年生のときブレイクダンスに出会ってしまった辻將成少年。
以後どんどんダンスの世界にのめり込んでいきました。

高校生の時は18歳で職に就くのだろうと思っていたのにダンス仲間がほとんど進学することを選んでいるのを知り進学を考えるようになりました。
物を作ることは好きだったのでそれも続けていけるようにインテリアデザインを学べる学校を選んだ。その中でもダンスができる環境は重要だったと言います。

とはいえダンスと物作りはまったく一致しなかった。

偶々デザインには英語ができなければと語学留学したオーストラリアでアートを意識するようになりました。
帰国後そこを深堀りするために大学院に進むことを決めました。

大学院は立体系のインテリアデザインとアート・・・、彫刻に進む。
そこでは「自分を見つめる」を突き詰められる。
そうなると自分とブレイクダンスは切り離せないことに気づく。
やっとアートとダンスが繋がった。

さてどうやってそこを制作と繋げていくか。
またもや心の格闘は続く。

ライトを手足に付けて写真にすると手足の動きの痕跡が残った。
これは今も続けている制作の1つ。

痕跡を残す。
たどり着いた。
やっとたどり着いたところは出発点だった。

鈴木喜家日本画とスケッチ展ー最終日

「鈴木喜家日本画とスケッチ展」本日最終日です。
スケッチの大切さがよくわかる展覧会でした。

次回は「呼応する身体ライブパフォーマンス 辻将成展」です。
ダンサーでもありアーティストでもある辻将成さん、ダンスの痕跡を作品にします。
オープニングアーティストトーク(無料予約不要)
4/18(木)午後7時から
ライブパフォーマンス(有料1,000円要予約)
①4/20(土)午前11時ー
②4/20(土)午後6時ー
③4/21(日)午前11時ー
④4/28(日)午前11時ー
⑤4/28(日)午後6時ー
予約はwithsns.prism@gmail.comあるいはメッセンジャーからでも承ります。

洗うー鈴木喜家日本画とスケッチ展

数日前の投稿で「お湯で洗うってどういうこと?」で終わりました。

「洗う」
ぬるま湯や水で本当に洗い流すこと。

洗い流して描き直すってことかな。
そういう意味もないわけではないというけれど、画面の質感を整えたり、今見えている色の下に描いた色を出したり。
それは技法の1つなんだそうです。

「洗い」の効果は計算が成り立つこともあるし、計算外のこともあるらしい。

日本画のこと何も知らなかった。もっともっと知りたい日本画。