Goki展スタートーGoki&Artists 2023 Spring

あれ?写真間違ってませんか?と言われそうですが、今日はこれです。

Gokiのデザインに一目ぼれしたプリズムは「Goki展」を画策しました。
三宅一生の「PREATS PLEASE展」の衝撃。いまはもうない東京青山の東高現代美術館での展覧会でいつかファッション展をやりたいという思い。Gokiデザインと出会う前も何度もファッション展は企画してきたけれど、これはやりたいを通り越してやらなければになっていました。

加藤裕之さんはあまり乗り気ではありませんでした。
彼の中ではファッションの発表はファッションショーが頂点だったのだから。
それでもなんとかOKを取りつけました。

個展搬入の日、やっぱり加藤さんのモノヅクリのスイッチはちゃんと入っていた。どんな小さなことにも妥協は許さない姿勢に、松岡さん初めお手伝いの方々は翻弄されることになるのです。

スタイルとしては現在でも続くYohjiYamamotoの店舗内装とよく似たものでしたが、高さやワイヤーの張り方など本当に厳しいダメ出しの連続でした。

「まだ駄目なの」と言いながら根気強く付き合う松岡さん。
個展の搬入なんて序の口で服作りではもっともっと厳しく自身のデザインを曲げないんだろうなと思ったものです。

写真に写っている鉄パイプですがその時の残りです。
プリズムでは以後ファッション展の時簡易のフィッティングルームを作るのに今も使わせていただいています。

今のように所蔵作品とコラボする展覧会は続けていますが、純粋な「Goki展」はその半年後に2回目を開催して終わりになりました。

松岡さんから「もうやれません。小さなファッションメーカーには無理です。」と言われましたが、立ち上げたばかりの会社を守っていくのに個展は厳しかった。加藤さんだってデザインと展示会場作りを続けていくには体力的に難しかったんだと思います。

それでも今も年に何回かはプリズムに商品を提供していただいています。
これからも続くことと思います。

Gokiに出会った日ーGoki &Artists 2023 Spring

私がGokiの服に出会ったのは1996年か1997年のことでした。
行きつけのブティックの方が「新しいブランドが入ったので見ていってください」と見せられたのがGokiでした。

その店の他のデザインとは異なり異彩を放つとはこういうことだと思えるビジュアルでした。ヨージ系ギャルソン系のデザインに「何これ、かっこいい!」と絶句。

今日着てきたこの服即買いでした。
25年以上も前の服とは思えない。

Gokiは名古屋のファッションメーカーであることに驚きました。
岐阜がアパレル産業の盛んなことは知っていましたし、名古屋市内にも縫製工場があることも知っていました。それでもこんなにデザイン性重視のアパレルが名古屋にあるなんて驚きです。
事情を知れば納得なのですが、このデザインを引っ提げて拠点が名古屋だということの困難さも同時に感じてしまったものでした。

あまりに感動したのでそこの方が「デザイナーに会わせてあげようか」と言ってくださいました。もちろん「是非に」と即答でした。

加藤裕之さんは長髪に無精ひげにも見えそうな、まあヨウジヤマモトのような風貌の人でした。穏やかにニコニコしてはいるけれどナイーブそうな青年でした。
松岡哲史さんは営業で培ったのかもともとのものなのか物腰の柔らかな飄々とした方でした。加藤さんがエネルギッシュに外には出ていけないので、松岡さんが外とのことは一手に引き受けるという態勢でした。デザイナーと営業の二人三脚、あとは身内の方が手伝っているようでした。強力な外部の営業さんがいらして今もその方の協力があるようです。

始まったばかりのGokiも今もずっと変わらない何かがあります。

Goki誕生ーGoki &Artists 2023 Spring

名古屋に帰ってきた加藤裕之さん。
それは加藤さんも失意だったことでしょうが、もう一人残念に思っていた人がいました。名古屋モード学園時代の同級生松岡哲史さんでした。

松岡さんはファッションデザインの勉強した後ファッションの営業畑で彼のスキルを上げていました。
東京でのデザイン生活を辞めて帰ってきたことをとても惜しく思っていました。
惜しむ気持ちはやがて「加藤デザインを世に送るサポートをする」つまり彼のデザインを売る会社を立ち上げるという決意に変わったのです。

どれほど困難が待ち受けているのか想像もつかなかったはずです。
松岡さんはなかなか飄々とした人物です。
聞けば「何にも考えていませんでしたよ」なんてはぐらかされそうですが、相当な決意があったはずです。
松岡さんに出会ったころ「ゴキちゃんはハンディのある体なので長くは生きられないかもしれないんです」とおっしゃったことがありました。それだけ深い心でGokiを背負ったんということだと思います。

立ち上げた会社の名前もブランド名の「Goki」加藤さんの名誉あるあだ名です。

松岡さんが優しい声で「ゴキちゃん○○だね」と加藤さんを呼ぶ時を思い出します。加藤さんは振り向いてただうなずくだけ。そんな二人の呼吸は信頼し合っている者同士のものでした。あ、誤解無きように。お二人にはそれぞれ大切な家族がありますからね。

加藤さんのハンディのことは今回初めて書きます。
生前加藤さんにお尋ねしたらハンディのことは書かないでほしいと言われました。マスコミの取材も極力受けないようにしていました。そんなことがいろんな意味で加藤さんのデザインを正しく評価していただけない可能性が無きにしも非ずだったから。でも今回は書きます。もうそんなことどうでもいいですよね。加藤さんの真実を知っていただくのにはそれを伏せることはできません。

松岡さんのことも今まで書いたことがありませんでした。
Gokiデザインは出来上がったモノだけが全てだから。
それはそうだと思うのだけど、その後ろにあるたくさんのストーリーはやっぱり知ってほしい魅力的な物語。今回だけは書きます。松岡さんがGokiを立ち上げる決意をしなかったら加藤さんのあのデザインは生まれなかった。それも大事な大事な物語。

Gokiは船出をしました。1996年のこと、バブルだってとっくにはじけて決していい時代ではなかったはず。

YohjiYamomoto期ーGoki&Artists 2023 Spring

1981年からGokiの加藤裕之さんはYohjiYamamotoに入社します。
そろそろバブルが始まろうかという頃です。
ヨージさんは世界のファッション界での寵児となっていました。

加藤さんはパタンナーとして修業が始まりました。
パタンナーという仕事はファッションデザイナーの出したアイデアスケッチを実際の服に仕立てるための型紙を作る仕事です。優秀なパタンナーがいなければどんないいデザインも実現することができないということでもあります。

加藤さんはこの時ヨージさんのデザインの真髄を叩きこまれたことと思います。
ボディコンシャスがメジャーだったこの時代体に沿わせないで美しいシルエットを作ることや構築的な形を服にしていくのがヨージスタイル。学校で学んだ基礎は当然のこと、その上にそれを覆す新しい美しさを追求していく最前線であるYohjiYamomotoのメゾンはファッションの虫であった加藤さんにとって刺激的で夢のような世界であり幸せな地獄であったのではないでしょうか。

世界中を飛び回っていた山本耀司氏は東京の会社にいることはほとんどなく、加藤さん自身そう何度も会う機会はなかったとおっしゃっていました。それでもヨージデザインの中にどっぷり浸かっている時間だった。

しかしそんな時間は永遠ではなかった。
1987年加藤さんは体に不調を抱えヨージを去らなければならなくなったのです。
失意はどれほどのものであったか想像するのもつらいことです。
名古屋に戻るしかなかった。

ファッションの虫加藤裕之ーGoki &Artists2023 Spring

Gokiの加藤裕之さんとはもう25年ほどのつきあいになるだろうか。
シャイな加藤さんは自分からはほとんどお話をなさいません聞かれればぽつりぽつりと話す程度です。これから書くことには私の記憶違いもあるかもしれませんが、ご容赦ください。

加藤さんは豊田市の市街地から少し離れたところに生まれたと言います。
自然の溢れる地でその環境とは少し違う都会的なファッションにあこがれ、名古屋モード学園でファッションデザインを学びました。

当時革命的なアンシンメトリックなデザインで世界中から注目を浴びていたファッションデザイナー山本耀司のところに入社します。

1980年ころ飛ぶ鳥落とす勢いのヨージ・ヤマモトに地方の専門学校出身の加藤さんが入社できたのは並大抵のことではなかったはずです。

「Goki」の名前の由来を聞かれることがあります。
「まさかゴキブリじゃないよね」とよく言われるのですが、残念ながら「まさか」なんです。「ゴキブリのゴキさん」なんです。
学生だった頃加藤さんはとにかくいつでも学校の中でファッションの勉強に没頭していた。他の学生から見ると「加藤君いつうちに帰っているの?」「お風呂入っている?」「ちゃんとご飯食べてる?まさかそのへんのもの拾って食べてはいないよね」・・・・「ゴキブリみたい。」・・・「ゴキちゃん」
そんな流れだったようです。

不名誉なあだ名でもありますが、ファッションに没頭していたという称賛に値するエピソードでもあったのです。

それでなければヨージ・ヤマモトに入社なんかできやしないんです。
そして名古屋で25年もファッションデザイナーとしてやってなんか行けないんです。

彼のファッションへの思いや努力はその後ずっとずっと続いたのです。昨年の9月に亡くなるまでずっとです。

Gokiを紹介する前にーGoki &Artists 2023 Spring

Gokiの加藤裕之さんを紹介する前にこの展覧会の構成を紹介します。

「Goki &Artists」シリーズはGokiの服を紹介する展覧会なのですがそれだけではありません。洋服とりわけGokiの洋服はプリズムの扱っている作品ととても相性が良いので両方が引き合うことも見ていただきたいシリーズです。

今回洋服が搬入されたとき、このブルーのパンツの色がとても印象に残りました。ブルーは夏に似合う色なんですが、それはマリンブルーのように夏の日差しに負けないブルーです。このパンツのブルーは春のブルー。柔らかく優しいブルー。そうだこれと同じブルーの作品があったと、このブルーのチューリップの版画を思い出したのです。高北幸矢のシルクスクリーン版画です。出してみると同じ優しいブルーのチューリップ。

洋服と版画を並べてみたら、色はもちろんぴったりだった。
それだけでなく、上に着せたカットソーの裾の斜めのラインとチューリップを生けてあるかのような白の部分の直線がすっきりと響き合う。

この面が決まったときもうこの会場全体の構成が見えてきた。

洋服と絵は無為に並べているわけではありません。
小さなことではありますが、そんなことも見て楽しんでいただけたら嬉しいです。

会場は毎日少しずつ変わります。
どうしてもうまくまとまらない日もありますが、Gokiの洋服も絵も呼応して引き立て合うよう頭をひねっているのです。

猫展27-最終日

2023年の「猫展」も本日最終日となりました。(午後5時まで)

来年も2月22日を中心に「猫展28」を開催いたします。猫大好きなみなさん持っていてください。

プリズムの次回は3月2日(木)から、これも恒例の「Goki & Artists」です。
Gokiファッションとプリズム所蔵作品で春を演出します。

Gokiファンの皆様には過行く季節をスペシャルプライスでお待ちしています。

あと1日ー猫展27

猫さんたちとの毎日も明日で終わります。
なんだかとても寂しいです。

今年もたくさんの猫好きさんとも出会い楽しいお話をたっぷり聞かせていただきました。来年も楽しみだにゃぁなんて思っています。

今日も含めて2日間もう少し猫さんと楽しい時間を過ごさせていただくことにします。

作家在廊予定
2/25(土)     15:00-    水野加奈子

2月は天候も体調も不良になりがちです。
電話やメールでの作品予約も承っております。

withsns.prism@gmail.com
052-953-1839

日比野靖ー猫展27

何やらメカニックな香りがする日比野靖さんの猫。
案の定猫好き男子がこの前でそわそわ。

猫好きさんも本当に様々です。43人の作家同様お客様も全員同じ絵の前でも違った反応をなさいます。

これで全作家紹介が終わりました。
猫展はあと3日。たくさんの猫さんがみなさんのお出でをお待ちしております。

作家在廊予定
2/25(土)     15:00-    水野加奈子

2月は天候も体調も不良になりがちです。
電話やメールでの作品予約も承っております。

withsns.prism@gmail.com
052-953-1839