あげる、すてるー倉中玲個展

ある時倉中玲さんは知人からあるものを譲りたいと言われた。

知人はどれほどそれが倉中さんにふさわしく自分には不要かということを説かれたと言います。

倉中さんにとってはそれほど魅力的ではなかったあるもの。

知人は倉中さんが遠慮しないように自分には不要だということを力説したのではないかと推察しますが、力説すればするほど「あげる」は「すてる」なのではないかという思いが湧いてきたそうです。

事程左様に人と人とは完璧に理解することはありえない。

人と人とにも「彼岸」と「此岸」がある。
この場合は仏教的な現世とあの世と言う意味ではなく、あの「彼岸」と言う作品にあった川で隔てられたあちらとこちらと思っていただくとよいかもしれません。

1つの事に対する理解。
「葡萄畑の天使」にもその場面がある。
「あげる」と「すてる」ではないけれど、それに当てはまる場面がある。

完璧な理解はありえないあちらとこちら。

さてどう考えたらいいのだろうか。

彼岸ー倉中玲個展

「彼岸」あちら側。

この絵の真ん中あたりが川です。
川の手前は「此岸」こちら側。

こちら側とは自分のいる世界。
欲と煩悩の世界とも言われる。
なんだかわかる気もする。

「彼岸」あちら側。
川の向こう。
欲と煩悩から解放された世界らしい。
仏教では極楽という世界。

知らない世界。
わくわく憧れ。
それでも知らないことに、わなわな恐れる。

さてここから「跨越」は始まる。
彼岸と此岸に跨り越える。

できるだろうか?
できるとしたら、何がどうできるのか。

倉中玲はどう考えどう作品にしたのか。
その答えが今プリズムに、ある。

辻將成展ー最終日

「辻將成展」は本日最終日です。
ブレイクダンスを作品にする、痕跡。
これからの進化から目が離せません。

次回は5月2日(木)-12日(日)*火日休廊、「跨越(かえつ)ー倉中玲個展」です。戯曲と絵画の融合とは?

「描く」ではないー辻將成展

「辻將成展」も明日が最終日となってしまいました。
この投稿が展覧会内容としては最後の投稿となります。

いかにもダンスを踊っている人のように見えるので多くの人は辻作品について「描く」という表現をしていますが、プリズムの投稿の中では一度も「描く」と言う言葉を使っていません。

何度もここで書いてきましたが辻作品はダンスの痕跡を制作しているのであって足や手で描いているのではないからです。

支持体にダンスを踊るためのだいたいの目安となるラインに絵具を置いていきます。ここが唯一意図的に「描く」に近い行為です。

そのあと支持体の上でブレイクダンスを踊る。
痕跡を残すことが辻將成の制作です。

痕跡を残すは、「描く」ではありません。
絵的に美しくしたいのならいくらでももっとドラマチックな画面を作ることができますが、辻さんが思い描いたダンスができたかどうかが重要なので余分な創作はしません。もしそうしたらそれはもう痕跡ではなくなります。

痕跡をどういう方法で残すのかこれからも飽くなき追及は続きます。

小さくなったピースを再構成してみたー辻將成展

ライブでできた小さなピースはとても美しかった。
どれもダンスの瞬間の破片。

「絵」として制作してはいないのだけど、平面の作品だから私たちの目に「絵」として映ってしまうのはいたしかたない。

ギャラリー内に「痕跡」のピースを展示するならかっこよく並べたい。
その結果がこの壁です。

この壁は昨年の「小さな絵の展覧会」に出品されていた作品が展示されていたのですが、ライブ後はライブ作品に替えました。

初日に観てくださった方もお近くにお出かけの際はもう一度寄って見てくださると嬉しいです。

ライブレポートー辻將成展

先日のライブのご報告です。

91×180㎝の黒い板の上でパフォーマンスは行われました。
黒い板はあらかじめいくつものピースに分けてあったものを会場で1枚の長方形(91×180㎝)に組み直し設営しました。

この上に絵具を乗せブレイクダンスをする様子は先日投稿したので割愛しますが、出来上がりは真ん中の写真です。

その作品を元の小さなんピースでも観ていただきました。
小さなピースからダイナミックな全体の動きを見るのはなかなかむつかしい。しかし、ピースに分けたからこそ見える瞬間がそこにはあった。それはそれで小さい面積の中に見えるダイナミックな画面は魅力的だった。

出来上がった作品をピースに分けて観ていただくライブは辻將成さんにとっても初めての試みだったそうです。

瞬間がより鮮明になったことを初めとしていくつもの発見もあった。
大きなキャンバス上での作品は辻さんの心情としても切り分けることができない。必然的に作品が大きすぎて販売の対象にはならなかったけれど、ピースにあらかじめ分けてあるのはばらばらにしていいので販売できる。ライブ参加のみなさんにその場で何点もお買い上げいただくことができました。瞬間が残る作品には多くの方々が共鳴してくださったということだと思いました。

ライブにはたくさんの人が集まってくださいました。4月28日のライブ2回ももう満席になってしまいました。これから予約しようと思っていらっしゃった方々には申し訳ありませんが次回のライブもただ今企画中なのでそちらにお出かけいただければ嬉しいです。

ステップが見える!ー辻將成展

辻將成展ではダンサーの仲間がたくさん来てくださっています。

彼らは「どんなステップを踏んでどこでどんなターンをしたのかよくわかる」とおっしゃいます。なんだかとても羨ましい。彼らには一目でダンスの痕跡だとわかるのだから。

だけど誰もが同じものを見なくてはいけないのだろうか。
そうではないだろう。

ブレイクダンスを知らないからこそ見えるものだってきっとあるし、そもそもダンサーがみんな同じものを見ているわけではないと思う。

観る側の個性と創る側の個性が出会うことで世界は広がる。

ダンスのステップー辻將成展

辻將成さんの制作はまず支持体(描かれるもの)に絵具のチューブから線を絞り出す。

この線は何かを描いたり抽象形態を描いたりしているのではありません。
作品はダンスの痕跡。
ダンスにはステップがあります。どんなステップを踏みたいのかを決めたら、ステップを踏むであろうあたりに絵具を置きます。ところどころいろいろな色も置いていきます。

この過程に随分時間を使っていました。絵具を置きながらダンスの構成を綿密に考えているのだろうことが伺えました。

できあがってしまっている画面からはわかりづらいことだけど、これがブレイクダンスの痕跡を制作する最も重要な場面だと思いました。

何に見える?ー辻將成展

何に見えるか?
何かに見えないといけないのか?

何かに見えなければいけないことは、全くない。

何かに見せようと辻將成さんは全然思ってはいないのだから。
絵として素敵に見えるかさえも考えていないのだと言います。
ブレイクダンスとしてちゃんとステップが踏めてポーズが決まっているのか、それが一番大事。ポーズが崩れたら他人がどんなにかっこよい画面に仕上がっていると褒めてくれても彼は納得しない。

それなのに何かに見えてくるのは観ている人の勝手。

しかし何かに見えてくる。そこには何かあると、私は思っている。本人もまだわかっていない何か。これからわかる日が来るのか。それともそんな日は来ないのか。それも楽しみ。

痕跡を残すー辻將成展

IMG_3912

ブレイクダンスは練習に練習を重ねてもパフォーマンスの時間は一瞬です。
それはそれで辻將成さんは受け入れてはいるのです。

ある時痕跡は残せることに気づきます。
映像化はできるけど、それは記録であり痕跡ではありません。
記録では物足らなかった何かが痕跡にはあることにも気づきました。
手足にLEDを付けて写真を撮ると痕跡は残る。

1つ方法を見つけると嬉しい、けれどいつかは飽きる。
痕跡は残したい。

ある時ダンスフロアに残るダンサーの靴跡にダンスの痕跡を見た。
これを自分の表現に取り入れたい。
この思いが今回の作品のスタートでした。

今日4月20日から5回のライブが予定されています。
有料(1000円)で要予約ではありますが。是非お出かけください。

③4/21(日)午前11時ー
④4/28(日)午前11時ー
⑤4/28(日)午後6時ー

まだ若干のお席を用意できますので是非ご予約ください。
withsns.prism@gmail.com