黒の下地に白い絵の具だけで描く。なんとも潔い。
ある意味良いも悪いもごまかしが効かない分作家本人にとって勇気のいる描き方なのではないだろうか。
それでも今回モノクロにこだわった近藤美和さんの気持ちの強さを称えたいと思う。
これからどう変わっていくのか、きっとずっとここに居はしないだろうと思うと彼女の「今」をしっかり見ておかないととあと2日しかない個展の残り時間に焦る。
WHITE MATES bldg.1F 1-14-23Izumi Higashi-ku Nagoya Japan Phone052-953-1839
黒の下地に白い絵の具だけで描く。なんとも潔い。
ある意味良いも悪いもごまかしが効かない分作家本人にとって勇気のいる描き方なのではないだろうか。
それでも今回モノクロにこだわった近藤美和さんの気持ちの強さを称えたいと思う。
これからどう変わっていくのか、きっとずっとここに居はしないだろうと思うと彼女の「今」をしっかり見ておかないととあと2日しかない個展の残り時間に焦る。
修道女が自分の信仰を深めるために持つ絵を信心画というのだそうです。これはその形を模した作品です。キリスト教的モチーフではありますが、日本でもお厨子があったように信仰の拠り所として自然に生まれたものなのかもしれません。
この個展では「自灯明」というタイトルの絵はありませんでしたが、前回もその前もそれをテーマにした作品がありました。これは釈迦が説いた言葉で「自分を信じて生きる」ということです。自分を信じるとは自分は信じる道をちゃんと生きているのか厳しい目で自分を見つめることでもあります。修道女が信仰の拠り所を持つというのはとても近いものを感じます。
幼少期にドイツで過ごした近藤美和さんにとってはキリスト教的モチーフのほうがしっくりいくのかもしれません。決してキリスト教を信仰しているのではないですが、各宗教を越えた普遍的な信仰については深い思いがあるのです。
モノクロの表現が今回の個展では中心になりますが、モノクロの先に出てきたのこの色使いです。
この絵は黒の下地にオークル(黄土色)のモノトーンで描き進め、エメラルドグリーンを入れ、赤と白を刺して完成させました。
オークルもエメラルドグリーンもモノクロの絵を描く前によく近藤美和さんの絵に登場していた色です。
モノクロになる前の近藤さんの絵が色に溢れていたという印象はありませんが、それでもモノクロ作品は下地の黒と絵具の白しか使わないのだからそれ以外の色はすべて排除したということになります。モノクロで数年制作したことで色に対する整理をしていたのかもしれません。
モノクロを経てまた近藤作品に必要な色を考えた際に再び登場したオークルとエメラルドグリーン。それは近藤さんにとってどれほど必要な色かと思います。
すでに駆け出しと言われる時期は過ぎベテランの域に入ろうとしている近藤美和と言う作家はこれをこう描けばファンは喜んでくれるという経験値はあるはずだけど、それに溺れてはいない。何よりも自分がわくわくしていられるために何が必要でどうしていったらいいのか厳しい目で制作をチェックしているように見えます。
オークルとエメラルドグリーンに何がプラスされていくのか。あるいはこの2色は姿を消すのか。
色だけ見ていても彼女の未来はとても興味深い。
近藤美和さんは海と山のセイレーンを描きました。
水の中のセイレーンは良く知られた存在ですが、山のセイレーンもあります。
海のセイレーンは人魚で山のセイレーンは上半身が人間で下半身は鳥です。
もともとセイレーンは山のセイレーンが主流だったそうですが、今では水の中のセイレーンがよく知られる存在です。
美しい声で歌うセイレーンに人は惹きつけられ近づくと喰われてしまうと言われています。
なぜセイレーン?
「人と動物が合わさった形が造形的に面白いと思い描いてみたくなったのです」と。伝えたかったテーマ以上に「描いてみたい」という画家の欲求は純粋で興味深い。理屈ではなく描きたいという気持ち。
半人半獣。
見てみたい。見ることが叶わないのなら描いてしまえ、と思ったかどうかは知らないけれど。この2点は近藤さんの心の声が描かせた。
本来のセイレーンは海のも山のも女性なのだけど、女性でも男性でもないものとして描いた。半人半獣だって十分異形のものだけど、さらに異形のもの。だからこその神聖さ。近づいたら喰い殺される。近づいてはならぬ。
絵描きの純粋な欲求は結局近藤美和の制作のテーマに外れてはいない。むしろテーマそのものだった。
絵には少し毒がある方が魅力的。
近藤美和さんの絵には時に毒を見る。
この絵もカタツムリのぬめりを感じる。
ぬめりを排除して丸っこい可愛い部分だけを抽出したようなデフォルメーションもイラストレーターとしては可能なのだろうけれど、近藤さんはあえてぬめりを感じるデフォルメーションにしている。
ぬめりをどちらかといえば気持ち悪いと感じる人のほうが多いだろう。もちろん、そこに気持ち悪さなんて感じない人もいるのでこれは絶対的な感性の話ではない。
多くの人が気持ち悪いとか嫌いと感じることが毒なのだが。
その毒があるからこそ目が離せなくなる。毒は実は大きな魅力なのだと思う。そしてその魅力はだれにでも魅力というわけではなく、毒に当てられる人と毒の魅力にはまってしまう人がいる。これが作家にとっても鑑賞者にとっても個性なのだ。苦手と言う人と大好きという人の感性に深い溝があればるほど作品としての個性が際立つのかもしれない。
カタツムリに蔦の蔓を絡ませることでぬめりを中和させる、というか品位を高めている。
この作品はDMにも使われた今回の個展の代表作でもあります。
折りたためる衝立様(よう)の形状。
屏風ではないところが「和」ではないことを示しているようにも思える。
絵は鹿と林檎。
「鹿」はキリスト教では優しさ・用心深さなどの象徴的な意味を持っている。
「林檎」は禁断の実としてよく知られている。
そんなところからこの作品が何を語ろうとしているのかを考えてみる。
モチーフとしては極めてヨーロッパのキリスト教的ではありますが、宗教というのは集約するとキリスト教に限らず人としての生き方のあるべき方向はあまり大きく違わないのではないでしょうか。
近藤美和さんにとってキリスト教的モチーフは幼少時にドイツで生活する中で自然に触れてきたもので、そこに深い信仰心を持って描いているわけではないのだと言います。とはいえそれが示唆する教えには共感を持っているのです。
モノクロの世界は高潔で神聖な空気も醸し出す。
今回の個展はモノクロ作品がメインです。
近藤美和さんは技法などでもっと知りたいという思いから数年前プリズムの作家でもある洋画家の加藤鉦次さんのところに油絵を勉強に行きました。そこで古典技法を学んだのです。
最初に支持体(絵が描かれるものキャンバス、ケント紙、イラストボードなど)に下地を塗ります。たまたま初めにクラナッハの模写をしたので下地の色が黒だったのです。それに白い絵の具で形と陰影を描いていきました。そのあと色を塗り重ねていきます。それはそれでとても魅力的で以後油絵具ではなく透明アクリル絵の具で絵を描き始めもしました。
そう。色を重ねることもとても面白かったのですが、黒い下地に白で形と陰影を描くこともとても美しくこれを追求してみたいという気持ちもそれ以降ずっと思い続けることになるのです。
そういう思いをこの個展に賭けてみました。
白一色で描いた絵。
その美しさ、表現の深さを観てください。
近藤美和さんプリズムでは4年ぶりの個展です。
モノクロで描くことを追求したいとの言葉通り今回は新作はほぼモノクロで、少し前の作品は色を多用したものという構成です。
テーマ的には今までも追及していた中世ヨーロッパを思わせるモチーフが多く、したがってキリスト教的な絵が多い。このあたりについては毎日お伝えするブログにもう少し深堀をしていくつもりです。
近藤美和さんは10月26日(木)11月2日(木)はご自身が担当する講義のため在廊できませんが、あとは期間中在廊予定です。
イレギュラーな会期で大変ご迷惑をおかけした展覧会です。
本日の最終日またまた皆さんにお願いです。
午後7時までの営業予定でしたが午後5時までの営業とさせていただきます。
急用が入りまして、急な変更となってしまい本当に申し訳ありません。
次回は10月26日(木)ー11月5日(日)*火曜休廊、通常通りの営業でみなさんお待ちかねの「近藤美和個展ー黒い森~豊穣の闇~」を開催します。
正午-午後7時(最終日は午後5時まで)
先月ギャラリースペースプリズムにて個展を開催されました板倉鉱司さんが17日ご逝去されました。
いつも笑顔でどんな困難も乗り越えてしまう方でした。
最後の個展も厳しい体の状態で臨んでくださいました。
プリズムにとって大きな存在でしたので、本当に悲しく寂しいことです。
板倉さんは敬虔なクリスチャンでした。
神様の元に召されたのです。
下記のよう葬儀を行います。
10月21日(土)午前10時~
碧南教会(0566-41-5509)