「羽化する時間ー板倉鉱司銅版画歌集出版記念展」本日最終日です。
次回のプリズムは9月28日(木)-10月8日(日)*火曜休廊「着付け師小平治の風景画展」です。
WHITE MATES bldg.1F 1-14-23Izumi Higashi-ku Nagoya Japan Phone052-953-1839
「羽化する時間ー板倉鉱司銅版画歌集出版記念展」本日最終日です。
次回のプリズムは9月28日(木)-10月8日(日)*火曜休廊「着付け師小平治の風景画展」です。
「春の日は地面に生えた雑草とリルケの影が並んで伸びる」
銅版画歌集「空を飛ぶ方法」の最後のページにある版画と短歌です。
初めてプリズムで個展を開いてくださったときから「僕の作品はリルケの詩を形にしたものです」と何度もおっしゃっていました。リルケに深い関心を寄せていた板倉鉱司さんですから、版画も彫刻も短歌もリルケの影響を受けての創作活動です。
リルケの深い思想を誰にでもわかる言葉や形で私たちに伝えてくれる板倉さん。
どんなに素晴らしい発想でも難しい言葉や一瞬で分からない形では多くの人に伝わらない。学生の頃「難しいことを易しい言葉で人に伝えられるように努めなさい」と教わったことがあります。伝えたいことの真髄がわかっていないから難しい表現に頼ってしまうということだとその時理解しました。
わかり易いということは幼稚と言うこととは違います。
物事の深いところを板倉さんのようにわかり易く表現してくれることに本当の優しさを感じます。
板倉鉱司さんの作品には動物・昆虫・草・花(主に雑草)がよく登場します。
どんな小さな生き物にも板倉さんの眼差しは優しい。
ネットで調べても「フタスジアオタマムシ」は出てこないんだけど、板倉さんの大切な友達的な存在なんだと思います。あるいはめったに会えないあこがれの存在。いずれにしても大切なことにかわりはない。
一緒に飛ぶ方法を模索中?
夏空をキラキラ輝く羽根を広げたフタスジアオタマムシと一緒に板倉さんの心もブンっと飛ぶ。
立体作品の展示ではライティングの加減で思わぬものが見えることがあります。
2点並んだ展示台の向こうの壁に面白い影ができました。
板倉作品ならではのうふふな影です。
影は案外正直だから板倉作品のすごくいいところをばっちり見せてくれました。
さてなんでこんな影になるのかは会場で見つけてください。今日も含めてあと4日。まだまだチャンスあります。もっともっと素敵な発見だってあるはずです。
今回の板倉鉱司さんの個展、作風に変化が見られます。
ともすれば半立体と見えなくもない作風がかなり三次元になってきていること。
それでも平たい鉄板をパーツに切り分け溶接して立体に形作るという工程。
元は平面だということが板倉さんの特徴です。
この変化はきっと進化でこれからも変わり続けていく過程の瞬間なのだろう。
この進化は「空を飛ぶ」に対する板倉さんの思いとどこかでつながっているのではないだろうか。だとするとこの進化の行き着く先はいったいどこなのか。何なのか。ますます目が離せなくなる。
きっと作家である板倉さんだってフィニッシュがどうなるのか知りはしないはず。だから作品を観続けることはおもしろいのです。
銅版画歌集を作り終えてから始まったシリーズ「自転車に乗る宇宙人」の中の1点です。
雲の上まで自転車で行けるなんてそれはもう宇宙人でしかありません。
それでも板倉さんの宇宙人は宇宙船ではなく自転車なんですから、私たちを攻撃してくるはずもなく、随分のんびりとしていてフレンドリーな存在です。
まあ板倉さんそのものとも言えます。
耳がウサギのように長いのは板倉さん的創造の宇宙人なのかな。
それもなんだか平和でいいね。
板倉鉱司さんは専門的な美術教育を受けた作家ではありません。
家業である鉄工所である時彫刻家の掛井五郎さんの制作をアシストすることにななりました。その時にお手伝いをする中で作品作りの魅力にはまり以後自身も制作を始めたのだそうです。
掛井さんも平面的な彫刻を作りました。銅版画も手掛ける方でした。
学校では彫刻なら彫刻の分野の多くを知り学びますが、板倉さんの彫刻の学びの出発点は「掛井五郎」です。そしてそこだけです。そこでとんでもない魅力に引き込まれたとしたら、ミケランジェロもロダンも通らなくたっていい。それはきっと後からついてくるだろうし、なんだったらついてこなくたっていいのかもしれません。
極上の入り口があった。それがすべてだった。
板倉さんが夢中になった掛井五郎ってどんな人だったのだろう。きっと作品だけでなく人物も魅力的な方だったに違いありません。
制作は技術で形を作ることではなく、心の中を形にすることだと教えてくれた人だったのでしょう。
掛井五郎さんとの出会いは最高の神様からの贈り物だったのですね。
「陽に当たり畑の上に浮遊するそら飛ぶ形飽きずに眺める」
この度上梓された銅版画歌集の1ページ目にある版画と短歌です。
同じページに短歌が六首あります。
版画は短歌の挿絵ではありませんのでこの版画と深くつながるわけではありませんが、何だかとてもよく合っているように思います。
版画には2010年と制作年が入っています。短歌がいつの作品なのかわかりません。それでも随分前から空へのあこがれがあったことは推測されます。
しかしなぁ、板倉さんじゃなくてもふんわり雲がぽこぽこ浮かんでいたら一瞬あの雲になりたいと思うよな。浮世のあれやこれや全部なかったことにして浮かんでいたいってみんな思うでしょ。でもそれが一瞬で、そんなこと考えたってしょうがないって現実的になるから美しい言葉が浮かぶなんてことにはならないのよね。そんな人は絶対に空を飛ぶなんてことはできません。
この銅版画歌集のタイトルは「空を飛ぶ方法」
読み終えたら空を飛べるようになっているかもしれないと、密かに思う。
前回の個展の前から板倉鉱司さんは「空を飛ぶ」ということについて何度も話をしてくださいました。
「どうしたら空を飛べるのか真剣に考えている」とよくおっしゃっていました。
とてもまじめな方なので与太話などではありません。
板倉さんは歌人(短歌を詠む人)でもあるので、極めて詩的で精神的な思考なのだろうと思います。
この作品のタイトルは「羽化する意識」
空を飛ぶには羽根を手に入れなければならない。
空を飛ぶものは飛行機でも鳥でも昆虫でも羽根が必要。
「羽化」となるとこれは昆虫の世界。
板倉的空を飛ぶは昆虫のように「羽化」という過程を通って飛ぶのか。
そしてそれには「意識」が必要なのだろうか。
「羽化する意識」を形にするならばこういう形ってことなのだねと、凡人の私はまるで見当違いなことを考えている。
だけどきっと考えるだけ無駄だよなんて冷たいことを板倉さんは言わない、と思う。そうやって作品とお話ししてくれたら嬉しいって言ってくれそう。いや、板倉さんじゃなくて作品がそう言っているもの。
鉄の彫刻家板倉鉱司さんは銅版画も手掛けます。さらに長く短歌も作り続けています。
今年6月に短歌と銅版画の作品集を出版したしました。私家版ですので書店での販売はありません。珠玉の歌と銅版画を美しい本に仕上げました。
この展覧会では作品集だけでなく6月以降の新作の銅版画と鉄の彫刻も展示いたしました。その後3か月の板倉さんの歩みでもあります。
会場は美しい空間に仕上がりました。是非お出かけください。
なお、申し訳ありませんがご本人の体調が不安定なため会期中の在廊は基本的にはありません。在廊される日があっても長時間はいらっしゃれないことをご理解ください。