ただいまー音部訓子展

子供も動物もほとんど描いたことが無かったのだけれどここ数年よく描いたそうです。

ここ数年・・・
コロナで多くの人々の心が弱っていました。あなたもそうだったかもしれない。音部訓子さんはその一人でした。

こういう閉塞感のある時代に子供は大きな希望です。
希望を見せてくれる身近な子供たちの存在が音部さんにありました。描いてみたいという衝動。描くことによって自分が立ち直っていくのがわかる。

描くことによってしか絵描きは先に進むことができない。
だからこういう時代にものづくりの作家はそこにいて向き合うのがある意味正しい生き方だと思う。

コロナは多くの人の心を弱らせる負の力があった。
その中でどう前に進むのか。負から目を背けることなく描く。作る。

「これで子どもの絵は描かないかもしれない」と時々音部さんはおっしゃっているけれど、そういう言葉が出るということは、もう負から脱出したのだと思う。長く描くことを生業にしてきた人の生き方は強い。描くことでしか解決できないという事実を見せていただいた。

「子供は描かない」という言葉尻を捉えることはやめてほしい。
子供を描くことで見失いそうな希望の光を追うことをしないということなんだと私は解釈しています。

シンプルな情熱ー音部訓子展

アニー・エルノー著「シンプルな情熱」の装丁画のお仕事を音部訓子さんがされたのは20年も前のことだった。エルノーさんが昨年ノーベル文学賞をいただいたことでこの絵に再び光があたったのです。
原画が見たいという皆さんのお声を反映してこの展覧会に出品ということになりました。

文学作品の装丁画を多く手掛けてきた音部さん。
それは音部作品に文学的感性が備わっているからなのだと思っています。
文学的感性って?
それはとても説明が難しいのですが、絵を描くにあたって自分の内面をどれだけみつめているかということにつきるのではないかと思います。

この本の装丁をした方はなぜ音部さんに装丁画を依頼したのだろうか。
きっとそれまで音部さんが描かれた絵の中にエルノーさんの感性を見たのではないかと想像します。

私まだこの本読んでないのですが、なかなか内容は官能的だそうです。どこが通底しているのか楽しみです。

BODYは語る・命は踊るー音部訓子個展

「目は口程に物を言う」とは言うけれど、音部訓子さんの表現は目だけでなく体全体で物を言う。

20年以上も前からこのシリーズを描いています。初めて見たときの感動は今も忘れられません。体全体で感情を表現することのすばらしさ。喜びも悲しみも怒りも内からの感情が体を通して伝わってくる。コンテンポラリーダンスを観ているようでもありました。私自身がこのシリーズの大ファンなのです。

この度この会場でまたこのシリーズを飾らせていただけることはプリズムとしても嬉しいことです。

「命は踊る」
生きる喜びが絵のどこからも伝わってきます。
ポーズ・表情・色
胸に抱えるものは「気」でしょうか。

この作品を含め3点ルーブル美術館内で行われたアートフェアに出品されました。たくさんの国から集まったであろう作品や人々の中に会ったことは喜ばしいことでした。

 

加藤鉦次個展ー最終日

「加藤鉦次個展」はスペースプリズムも第一会場の「ノリタケの森ギャラリー」も本日最終日です。(プリズムは午後5時まで、ノリタケは午後4時まで)

次回は「音部訓子展」は4月20日(木)ー30日(日)*火曜休廊です。

オキザリスー加藤鉦次個展

この作品が今回最後に描いた絵だそうです。

色も光も他の絵とはちょっと違った趣があります。
未来の加藤作品の片鱗なのでしょうか。

今回多用されていたオレンジが少しくすんでいるのと緑に黒が入ってきていること。そして手前の花と奥の白で奥行きを持たせること。

何か新しいことが始まる予感のある絵です。

画業50年の記念展でしたが、もちろんこれで終わりではありません。
次の50年が始まってもいるのです。

ジャルダンー加藤鉦次個展

今回の個展は滋賀県にあるイングリッシュガーデンを主にしたテーマパークを描きました。ですが、このテーマパークそのものが描きたかったわけではありません。

前にも書いた通りイタリアで見た緑があまりに素晴らしくあの緑への憧憬をここに見るのだそうだ。

齢75歳にして絵を描き始めたころのわくわく感を未だ持ち続けようとする加藤鉦次さんの画家としての生き方。まだまだ続くはずです。

今日の絵は今回のDMにしました。

東屋ー加藤鉦次個展

加藤鉦次さんの絵には緑とオレンジがたくさんあります。
この絵もそうです。

この絵は他の絵とは緑が少し違った効果を生んでいます。
空の色を見ると夕景なのでしょうか。
陽光が薄らいでいくと緑は光を反射せず濃い緑に変わっていく。
光を吸収するのでしょう。

一方東屋の屋根はオレンジ色に輝いています。

光の反射も吸収も時々刻々と変わっていくことを画家の目はどのように観ているのだろうか。

藤ー加藤鉦次個展

今年は少し早いですが藤がきれいな季節になりました。
藤棚の下で花を見上げた時の優美な情景。少し風に揺れる姿はあでやかです。

藤の花を通り抜けた風はたとえ強風だったとしても柔らかさを含み優しさに変わるよう。

今はもうないのだけど、加藤さんのお住まいのお近くに有名な藤棚があった。季節になるとそこで味噌おでんを食べさせてくれる店になるのを目当てに藤のお花見に行ったことをとりとめもなく思い出した。

花より団子な自分。あの優雅な藤の花が絵の中でちょっと悲しそうに揺れた。

加藤鉦次個展ー第一会場(ノリタケの森ギャラリー)

本日より「加藤鉦次個展」第一会場(ノリタケの森ギャラリー)が始まりました。

こちらは画業50周年の50年分を凝縮した展示です。

もちろん50年の間に描いた中のほんの部分ではありますが、50年という時間の厚みには凄味すら感じました。こちらの会場も是非お出かけいただきたく思います。

第一会場:ノリタケの森ギャラリー
名古屋市西区則武新町3-1-36 TEL052-561-7290
2023年4月11日(火)-16日(日)
午前10時-午後6時(最終日は午後4時まで)

ジャルダンのガゼボー加藤鉦次個展

加藤鉦次さんという人のひととなりは本当に正直で優しくてまっすぐな人だといつも思います。

絵に対する考え方にもそれは大いに関係がある。
前にも書いたけど、絵を描くにあたって描いてはみたけれどちょっと違うなと思うときのこと。そのこと自体あって当たり前のこと。そんな時、完全に描き直すのが多くの画家の進み方だと思う。加藤さんはちょっと違うことを発想したのも自分だし、考える時間も描いた時間も自分の中にあった時間なんだから残像のように絵の中に残すのだと言います。

1つの画面の中に変わりゆく思考をそのまま描きこむ。
最後に塗った絵の具の下には過去に自分がこれだと思ったものがある。上書きすることを否定的にとらえない。AがあったからA’ができた。言い換えるとAができたからA’に進化できた。
「あったから=できたから」と自分を解釈していくことが実に加藤鉦次らしさがある。Aも愛おしいという残像。

今日の作品は加藤さんが2番目に気に入っている作品です。
1番は一昨日投稿した作品なのだそうです。