世界が貧乏ーGoki &Artists 2023 Spring

Goki社が設立されてから世界はずっと貧乏に向かっている。
バブル景気は確かに異常だったけれど、それ以降一向に上向く兆しが見えない。
少しくらい良い時もあったのだろうけれど、天災や戦争や経済の破綻など希望が見えてこないのがもう当たり前になってきているように思う。

ファッションで見てみると、加藤裕之さんが目指した構築的な服はスーツやワンピースやコートといったもので実現してきた。
それなのに世界的にもカジュアルダウンが流れになってきていて、人々はどんどんファストファッションを求めている。それがかっこいいとうよりそれぞれが持つお財布の中身が寂しくなっているので、みんな安い服でいいよね。ジャケットなんて高い服じゃなくてカットソーでいいじゃない。というのが本当のところなんだと思う。

Gokiからも上質なジャケットやコートはどんどん少なくなっていった。
「カットソーしか売れない」と寂しそうにおっしゃったのが忘れられない。

そんな中でのコロナはさらに追い打ちをかけた。
「外に行かないんだし、新しい服なんていらない。ましてや、ウチの中ではコートもジャケットもいらない。まあリモートで仕事をするのにパジャマというわけにはいかないのでトップスだけあればいい。それもブラウスじゃなくてカットソーで十分。」というわけだ。

この3年間、もうどうにか生き延びるがだれにとっても課題になっていたはず。

巣ごもり生活も限界。コロナにもなれてきた。
昨年あたりからやっとGokiにも活気が戻りつつあった。
売りにかけるのはこの春から。
そんな矢先の加藤さんの訃報だった。

加藤さんのかっこいい服もっともっと見たかったな。着たかったな。

Goki加藤さんの新作はこの春夏までです。
そのあとは人気のデザインを復刻していくのだそうです。ただ服地はどんどんいいものが使えるということはないのです。お金をたくさん出せばどんないい生地も織っててもらえるのだけど、それは世界的なハイブランドだけ。安い生地だってオリジナルで織ってもらえるのは世界を相手にしているメーカーに限る。だから私が持っている25年前の服と同じ生地はもう使えない。復刻と言っても全く同じではなく、ある材料と技術でカバーしていくということになります。

それはそれでいいなと思っています。みなさんも楽しみにしていてください。

忘れてはいけないことーGoki &Artists 2023 Spring

今日はもう12日になってしまったけれど、あの日を中心にしたことを今日は書きます。

あの日もプリズムは「Goki &Artists Spring」でした。
強くはないけれど長く続いた揺れ。初めて目にした道路の揺れ。
どうやら近くではないけれど尋常ではない大変なことが起こっていることはすぐにわかった。

パソコンの画面はとんでもない現実をリアルタイムで伝えていた。

その日はただただ驚いているばかりでしたが、それがその時開催していたGokiの展覧会に直結していたことは次の日から思い知らされたのでした。

被災した陸前高田は高い技術を持った縫製工場がたくさんある地域だったのです。最高の縫製を標榜していたGokiも契約している縫製工場が彼の地にありました。
「陸前高田の縫製工場はほぼ全滅です。Gokiも明日にも夏用の生地を送ろうというタイミングだったので生地は助かりましたが、夏物の生産にストップがかかりそうです。」と。それから別の縫製工場を探そうにもどこのメーカーも同じ状態なので他の地域の縫製工場に注文は殺到。結局その夏は品薄の状態になったのです。

しかし縫製工場以上にファッション業界は深刻な問題を抱えることがわかったのはそれから少したってからでした。
「東北の人たちが被災して大変な思いをしているときに新しい洋服を買って自分たちだけが幸せに暮らすことに罪悪感を持つ」と多くの人が思うことでファッション業界は大打撃を受けることになった。

被災者に思いを寄せるのなら今まで通りお金を使うことで経済を止めないことが本当の優しさなんだということをこの時知りました。

そのころリーマンショックもありました。これは日本には関係が無いと言われていましたが、震災への思いと重なって日本は深刻な不況に陥ってしましました。

Gokiを初めファッション業界に限って言えば物が作れないうえにあるものも売れない。そんな中Gokiはよく耐えたと思います。松岡パワーのおかげです。

Gokiデザインの魅力ーGoki &Artists 2023 Spring

このところ毎日私はGokiの15年以上前の服で出勤しています。
どれも散々着倒したはずなのですが、私の体形は変わって似合わなくなったのは仕方がないとして、どれも全然古びていません。

流行に左右されないGokiスタイルが出来上がっていることはもちろんですが、久しぶりに出した服が全然くたびれていないのに驚きました。

Gokiの営業さんがぼやいていたことがありました。
「ウチの服は生地も縫製も最高のクオリティなので何年でも着ていただけてしまうんです。だから毎年買い替える必要が無くて売れないんです。」と。
そういえばある時5年以上前の服を着ていたら「もうその服着るのやめてくださいよ。お客さんが買わなくていいと思ってしまうじゃないですか!」

そういうところもYohjiYamamotoで培った服作りの姿勢があるのではないでしょうか。

最高の素材で最高の縫製をする。当然Yohjiなみのコストがかかります。Yohjiなみの値段をつけても売るのは大変です。Gokiの服はそこまで高くない。それでもここまでこれたのは、松岡哲史さんの努力です。加藤裕之さんのデザインをできるだけ形にさせてあげたいという思いです。

生地も縫製もへたらない。営業泣かせではありますが、Gokiファンにとっては本当に嬉しいことです。

Goki展スタートーGoki&Artists 2023 Spring

あれ?写真間違ってませんか?と言われそうですが、今日はこれです。

Gokiのデザインに一目ぼれしたプリズムは「Goki展」を画策しました。
三宅一生の「PREATS PLEASE展」の衝撃。いまはもうない東京青山の東高現代美術館での展覧会でいつかファッション展をやりたいという思い。Gokiデザインと出会う前も何度もファッション展は企画してきたけれど、これはやりたいを通り越してやらなければになっていました。

加藤裕之さんはあまり乗り気ではありませんでした。
彼の中ではファッションの発表はファッションショーが頂点だったのだから。
それでもなんとかOKを取りつけました。

個展搬入の日、やっぱり加藤さんのモノヅクリのスイッチはちゃんと入っていた。どんな小さなことにも妥協は許さない姿勢に、松岡さん初めお手伝いの方々は翻弄されることになるのです。

スタイルとしては現在でも続くYohjiYamamotoの店舗内装とよく似たものでしたが、高さやワイヤーの張り方など本当に厳しいダメ出しの連続でした。

「まだ駄目なの」と言いながら根気強く付き合う松岡さん。
個展の搬入なんて序の口で服作りではもっともっと厳しく自身のデザインを曲げないんだろうなと思ったものです。

写真に写っている鉄パイプですがその時の残りです。
プリズムでは以後ファッション展の時簡易のフィッティングルームを作るのに今も使わせていただいています。

今のように所蔵作品とコラボする展覧会は続けていますが、純粋な「Goki展」はその半年後に2回目を開催して終わりになりました。

松岡さんから「もうやれません。小さなファッションメーカーには無理です。」と言われましたが、立ち上げたばかりの会社を守っていくのに個展は厳しかった。加藤さんだってデザインと展示会場作りを続けていくには体力的に難しかったんだと思います。

それでも今も年に何回かはプリズムに商品を提供していただいています。
これからも続くことと思います。

Gokiに出会った日ーGoki &Artists 2023 Spring

私がGokiの服に出会ったのは1996年か1997年のことでした。
行きつけのブティックの方が「新しいブランドが入ったので見ていってください」と見せられたのがGokiでした。

その店の他のデザインとは異なり異彩を放つとはこういうことだと思えるビジュアルでした。ヨージ系ギャルソン系のデザインに「何これ、かっこいい!」と絶句。

今日着てきたこの服即買いでした。
25年以上も前の服とは思えない。

Gokiは名古屋のファッションメーカーであることに驚きました。
岐阜がアパレル産業の盛んなことは知っていましたし、名古屋市内にも縫製工場があることも知っていました。それでもこんなにデザイン性重視のアパレルが名古屋にあるなんて驚きです。
事情を知れば納得なのですが、このデザインを引っ提げて拠点が名古屋だということの困難さも同時に感じてしまったものでした。

あまりに感動したのでそこの方が「デザイナーに会わせてあげようか」と言ってくださいました。もちろん「是非に」と即答でした。

加藤裕之さんは長髪に無精ひげにも見えそうな、まあヨウジヤマモトのような風貌の人でした。穏やかにニコニコしてはいるけれどナイーブそうな青年でした。
松岡哲史さんは営業で培ったのかもともとのものなのか物腰の柔らかな飄々とした方でした。加藤さんがエネルギッシュに外には出ていけないので、松岡さんが外とのことは一手に引き受けるという態勢でした。デザイナーと営業の二人三脚、あとは身内の方が手伝っているようでした。強力な外部の営業さんがいらして今もその方の協力があるようです。

始まったばかりのGokiも今もずっと変わらない何かがあります。

Goki誕生ーGoki &Artists 2023 Spring

名古屋に帰ってきた加藤裕之さん。
それは加藤さんも失意だったことでしょうが、もう一人残念に思っていた人がいました。名古屋モード学園時代の同級生松岡哲史さんでした。

松岡さんはファッションデザインの勉強した後ファッションの営業畑で彼のスキルを上げていました。
東京でのデザイン生活を辞めて帰ってきたことをとても惜しく思っていました。
惜しむ気持ちはやがて「加藤デザインを世に送るサポートをする」つまり彼のデザインを売る会社を立ち上げるという決意に変わったのです。

どれほど困難が待ち受けているのか想像もつかなかったはずです。
松岡さんはなかなか飄々とした人物です。
聞けば「何にも考えていませんでしたよ」なんてはぐらかされそうですが、相当な決意があったはずです。
松岡さんに出会ったころ「ゴキちゃんはハンディのある体なので長くは生きられないかもしれないんです」とおっしゃったことがありました。それだけ深い心でGokiを背負ったんということだと思います。

立ち上げた会社の名前もブランド名の「Goki」加藤さんの名誉あるあだ名です。

松岡さんが優しい声で「ゴキちゃん○○だね」と加藤さんを呼ぶ時を思い出します。加藤さんは振り向いてただうなずくだけ。そんな二人の呼吸は信頼し合っている者同士のものでした。あ、誤解無きように。お二人にはそれぞれ大切な家族がありますからね。

加藤さんのハンディのことは今回初めて書きます。
生前加藤さんにお尋ねしたらハンディのことは書かないでほしいと言われました。マスコミの取材も極力受けないようにしていました。そんなことがいろんな意味で加藤さんのデザインを正しく評価していただけない可能性が無きにしも非ずだったから。でも今回は書きます。もうそんなことどうでもいいですよね。加藤さんの真実を知っていただくのにはそれを伏せることはできません。

松岡さんのことも今まで書いたことがありませんでした。
Gokiデザインは出来上がったモノだけが全てだから。
それはそうだと思うのだけど、その後ろにあるたくさんのストーリーはやっぱり知ってほしい魅力的な物語。今回だけは書きます。松岡さんがGokiを立ち上げる決意をしなかったら加藤さんのあのデザインは生まれなかった。それも大事な大事な物語。

Gokiは船出をしました。1996年のこと、バブルだってとっくにはじけて決していい時代ではなかったはず。

YohjiYamomoto期ーGoki&Artists 2023 Spring

1981年からGokiの加藤裕之さんはYohjiYamamotoに入社します。
そろそろバブルが始まろうかという頃です。
ヨージさんは世界のファッション界での寵児となっていました。

加藤さんはパタンナーとして修業が始まりました。
パタンナーという仕事はファッションデザイナーの出したアイデアスケッチを実際の服に仕立てるための型紙を作る仕事です。優秀なパタンナーがいなければどんないいデザインも実現することができないということでもあります。

加藤さんはこの時ヨージさんのデザインの真髄を叩きこまれたことと思います。
ボディコンシャスがメジャーだったこの時代体に沿わせないで美しいシルエットを作ることや構築的な形を服にしていくのがヨージスタイル。学校で学んだ基礎は当然のこと、その上にそれを覆す新しい美しさを追求していく最前線であるYohjiYamomotoのメゾンはファッションの虫であった加藤さんにとって刺激的で夢のような世界であり幸せな地獄であったのではないでしょうか。

世界中を飛び回っていた山本耀司氏は東京の会社にいることはほとんどなく、加藤さん自身そう何度も会う機会はなかったとおっしゃっていました。それでもヨージデザインの中にどっぷり浸かっている時間だった。

しかしそんな時間は永遠ではなかった。
1987年加藤さんは体に不調を抱えヨージを去らなければならなくなったのです。
失意はどれほどのものであったか想像するのもつらいことです。
名古屋に戻るしかなかった。

ファッションの虫加藤裕之ーGoki &Artists2023 Spring

Gokiの加藤裕之さんとはもう25年ほどのつきあいになるだろうか。
シャイな加藤さんは自分からはほとんどお話をなさいません聞かれればぽつりぽつりと話す程度です。これから書くことには私の記憶違いもあるかもしれませんが、ご容赦ください。

加藤さんは豊田市の市街地から少し離れたところに生まれたと言います。
自然の溢れる地でその環境とは少し違う都会的なファッションにあこがれ、名古屋モード学園でファッションデザインを学びました。

当時革命的なアンシンメトリックなデザインで世界中から注目を浴びていたファッションデザイナー山本耀司のところに入社します。

1980年ころ飛ぶ鳥落とす勢いのヨージ・ヤマモトに地方の専門学校出身の加藤さんが入社できたのは並大抵のことではなかったはずです。

「Goki」の名前の由来を聞かれることがあります。
「まさかゴキブリじゃないよね」とよく言われるのですが、残念ながら「まさか」なんです。「ゴキブリのゴキさん」なんです。
学生だった頃加藤さんはとにかくいつでも学校の中でファッションの勉強に没頭していた。他の学生から見ると「加藤君いつうちに帰っているの?」「お風呂入っている?」「ちゃんとご飯食べてる?まさかそのへんのもの拾って食べてはいないよね」・・・・「ゴキブリみたい。」・・・「ゴキちゃん」
そんな流れだったようです。

不名誉なあだ名でもありますが、ファッションに没頭していたという称賛に値するエピソードでもあったのです。

それでなければヨージ・ヤマモトに入社なんかできやしないんです。
そして名古屋で25年もファッションデザイナーとしてやってなんか行けないんです。

彼のファッションへの思いや努力はその後ずっとずっと続いたのです。昨年の9月に亡くなるまでずっとです。

Gokiを紹介する前にーGoki &Artists 2023 Spring

Gokiの加藤裕之さんを紹介する前にこの展覧会の構成を紹介します。

「Goki &Artists」シリーズはGokiの服を紹介する展覧会なのですがそれだけではありません。洋服とりわけGokiの洋服はプリズムの扱っている作品ととても相性が良いので両方が引き合うことも見ていただきたいシリーズです。

今回洋服が搬入されたとき、このブルーのパンツの色がとても印象に残りました。ブルーは夏に似合う色なんですが、それはマリンブルーのように夏の日差しに負けないブルーです。このパンツのブルーは春のブルー。柔らかく優しいブルー。そうだこれと同じブルーの作品があったと、このブルーのチューリップの版画を思い出したのです。高北幸矢のシルクスクリーン版画です。出してみると同じ優しいブルーのチューリップ。

洋服と版画を並べてみたら、色はもちろんぴったりだった。
それだけでなく、上に着せたカットソーの裾の斜めのラインとチューリップを生けてあるかのような白の部分の直線がすっきりと響き合う。

この面が決まったときもうこの会場全体の構成が見えてきた。

洋服と絵は無為に並べているわけではありません。
小さなことではありますが、そんなことも見て楽しんでいただけたら嬉しいです。

会場は毎日少しずつ変わります。
どうしてもうまくまとまらない日もありますが、Gokiの洋服も絵も呼応して引き立て合うよう頭をひねっているのです。

Goki & Artists 2023 Spring

今回のこの展覧会は恒例ではありますが、とても残念なお知らせをしなければなりません。

Gokiのメインデザイナー加藤裕之さんが昨年9月に亡くなりました。
これから4か月ほどまでしか加藤さんの新作は見られなくなります。
アパレル業界は約1年前からその季節の作品を発表する準備を始めます。
2023年春夏コレクションまでが最後のデザインということです。

ただ加藤さんのデザインは全部残っているのでこれからはできる範囲で復刻版を制作販売していくのだそうです。

加藤さんの足跡をたどりながらこの展覧会のブログを投稿していく所存です。

なお有限会社Gokiは加藤さんの遺志を継いだ残されたスタッフでデザイン運営をしていくそうです。先ほども書きましたように復刻された洋服も形になりますのでプリズムはこれからもGokiを応援していきます。

3月2日(木)-19日(日)*月火曜休廊
正午ー午後7時(日曜は午後5時まで)

少々イレギュラーな営業日時ですがよろしくお願い申し上げます。