たたずむ猫ー小山恵展

お客様がいらっしゃらない時間、作家のみなさんは私の向かい側に座っています。私から見ると小山恵さんが座っている左にこの絵が見えます。恵さんの顔の角度と猫の顔の角度がほぼ同じに見える瞬間がよくあります。

恵さんの顔は決して猫顔ではありません。でも似てる。

これってよくあるといえばあること。恵さん自身も「目つきかな」と。ある意味自画像なのかもしれないともおっしゃいます。そうか、ご自分でも思うところがあるのか。

小山家のお姫様猫なのかと思ったら、隣家の猫さんだそうです。
でも、毎日朝になると小山家にやってきて夕方になると飼い主さんが迎えに来るのだそうです。この猫(こ)は帰りたがらなくて毎日ひと悶着。小山家にとって大事な猫さんなのでウチの猫(こ)にしたかったのだけど、お隣にとっても大事な猫だそうで決して「うん」と言ってはいただけないのだと残念そうにおっしゃっていました。

故郷を恋うラクダー小山恵展

小山恵さんは動物が大好き。

ご自宅の近くにある動物園の年パスを持つほどです。
ラクダはなかなか人に懐かないそうですが、このラクダは恵さんのことを認識していてカメラを向けると愛想をしてくれたのだそうです。

コロナの期間中にラクダは死んでしまいました。
このラクダは日本生まれかもしれませんが、故郷を思って逝ってしまったような気が恵さんにはしたのです。

ある日とても美しい夕日に遭遇しました。
こんな美しい夕日の砂漠の中にラクダを帰してあげたくてこの絵を描きました。
きっと故郷に帰れて喜んでいると思います。

炎華繚乱ー小山恵展

小山恵さんにとって曼殊沙華(彼岸花)もからくり人形に匹敵するくらい重要な存在だそうです。

一本の曼殊沙華も繊細で完璧な美しさを見せてくれますが群生しているときに放たれる朱赤の塊には我を忘れて見入ってしまうそうです。

毒があるから触ってはだめだと子供の頃大人に言われた人は多いと思います。そんな経験がこの花の怖さに繋がっているのだろうけれど、「毒」「だめ」というワードはかえって子供の心に怖いもの見たさの心を育ててしまう。怖いものをそっと見てみたら、それは別の世界に連れ去られてしまいそうな美しさがあった。大人の目を盗むようにして見た曼殊沙華はまたさらに美しさを増していた。

あの朱赤をシャープに柔らかく描きたいと日本画まで勉強するほど恵さんは曼殊沙華にのめり込んだ。顔彩なら自分が納得のいく朱赤がかけるようになりました。そしていつしか主に使っているアクリル絵の具でもあの朱赤のニュアンスが描けるようになってきたと言います。

曼殊沙華とからくり人形は恵さんの心の中では同じ意味合いを持ちます。
これからも絵の中に何度も登場することと思います。

嵐の一夜(弓曳小早舟幻視)ー小山恵展

この個展では一番大きな作品です。

不思議な場面なので「これどういうシチュエーション?」と聞かれることも多い。

ある日小山恵さんは大雨にあいます。線状降水帯とニュースなどで流れるあれです。幹線道路だったので大渋滞にまきこまれたのですが、怖いことに大きな川2本と海が近いところでした。三方から水がひたひたと迫ってきました。このままでは車もろとも水没してしまうというとき、その道路沿いに銭湯がありました。少し高いところに駐車場があったのでそちらに避難したのです。
そこにいればまだ水が迫ってきても銭湯の屋根に登ればいいと判断できるほど危険回避に確信が持てました。すると急にその状況が冷静に見えてきました。

観察したその状況を絵にしてみよう。
実際にはかなり差し迫った状況。水が迫ってくる怖さを実際に見えていたものはもちろん絵の中に描きこんだ。そこに怖さの象徴として9代目玉屋庄兵衛さんの「骨からくり」を入れました。木で作られているとはいえ骨だけで表現している現代からくりです。手に持つ弓は本来舟の舳先にある的を射ることができるそうですがそこは恵さんの創作が入っています。(骨からくりを絵にすることは庄兵衛さんの許可を得ています)

からくり人形を恐怖の象徴として入れるのは効果的です。
からくり人形が恵さんの感情を表現するものとして登場するのは今回はこの1点だけですがこれが最初で最後とはならないだろうと思います。からくり人形を描き始めてすでに10年近くになるそうですが、どんどんその見方が深くなっているようです。まだまだ見えてないことがあるに違いないとおっしゃいます。

からくり人形と恵さんの二人三脚はある意味始まったばかりなのかもしれません。

乱舞のからくりたち―小山恵展

「からくり人形」に出会ってしまった小山恵さん。
からくり人形の動きから目を離せなくなってしましました。

愛知県にはからくり人形を持っている地域がたくさんあります。お祭りの山車にからくり人形があってお祭りを盛り上げているのです。恵さんは各地のお祭りをたくさん見て回っています。人形たちの華麗に動く姿は素晴らしい。
自分の絵の中でも舞わせたい。
「乱舞のからくりたち」はそんな思いの中から生まれた作品です。

お祭りで見て写真に撮るだけでは絵にするのは難しいので、自身の手元にも7体ほど置いているそうです。昨日紹介した「太鼓を叩くからくり人形」は7体目の人形だそうです。お祭りで見たのと同じ動きはしないし、同じ顔ではないけれど手元の人形を矯めつ眇めつし、そして自分の創作も含めて絵にしていくのです。

この絵の3体の人形は全部同じのはずですが、手持ちの人形で角度を変えてみたりもするので同じ顔にはなっていません。それが小山恵のリアリティ。

人にできるだけ近づかせたいと生まれたからくり人形。人間のように動く人形。完璧な動き。だけど人間と同じではない。人間はいつも完璧ではいられないのだから、ある意味からくり人形は人間を越えてしまった。越えてしまったがために人間から遠ざかった。それでも恵さんの目はからくり人形から離れないのはなぜだろうか。

太鼓を叩くからくり人形ー小山恵展

小山恵さんはある時期何人かの方から「あなたの絵には主役がいない」と言われました。どうしたらいいのか考えたりみなさんのご意見を聞いたりした中で「からくり人形を描いたらどうか」というアドバイスをいただきました。その時はからくり人形についての知識もなく興味もなかったのだけど、見てもいなくていいか悪いかなんて決められないなとからくり人形を見に行きました。

そんな知識での見学だったのでそれほどの期待もなく見に行ったんです。

しかし、それは衝撃の出会いとなったのです。
からくり人形は動く。どんな動きをするかも知らなかった恵さんは、その動きにも魅せられてしまう。毎回寸分の狂いなく動く。人の動きとは少し違うし、人ができない動きでもある。
からくり人形は大陸の空気を纏い時空を超えた存在に見えた。
もうからくり人形から目を離せない自分がいたと言う。

「太鼓を叩くからくり人形」は唐子(中国の髪型服装の子供)
笑っている顔は決して笑いを崩さない。人形だから崩れるわけもなく、心の底から笑っているはずもない。この人形がどんな動きをするのか私は知らないけれど、この人形をモデルに夢中で絵を描いているとたまにコトリと動くことがあるそうです。夜中ならぎょっとする。だからベッドのそばにはこの人形を置かないようにしているんですって。

小山恵展ー存在のありかの行方

洋画家小山恵さんの個展です。

「存在のありかの行方」
バーチャルと実在が行ったりきたりする現在、ふと存在の拠り所の不確かさに不穏を感じる。そんな小山恵の心情を絵で表すとすると・・・。
からくり人形や曼殊沙華に恵さんの心情を託しているのだろう。

2025年4月3日(木)-13日(日)*火曜休廊
正午ー午後7時(最終日は午後5時まで)

4月5日(土)午後3時よりアーティストトークも開催します。(個展会場にて・参加無料)是非お出かけください。

平塚啓Paper Artー最終日

「平塚啓Paper Art」は本日最終日です。(午後5時まで)
超絶技巧の向こうに平塚啓さんの深い思いが見える個展でした。

次回は洋画家小山恵さんの個展「小山恵展ー存在のありかの行方」を4月3日(木)-13日(日)*火曜休廊です。正午―午後7時(最終日は午後5時まで)
4月5日(土)午後3時よりアーティストトークも開催します。是非お出かけください。(個展会場にて、予約不要・入場無料)

追い求めるものー平塚啓Paper Art

平塚啓さんの「九相図」は仏教画の「九相図」の形はなぞっていますが意味するものは違います。本来修行増の煩悩を払ったり無常観や不浄観を示してはいないことは以前も書きました。生き物が生命を終えたとき土に還ると言います。動物も植物も汚く変化して芥(あくた=ごみ)になるのではなく、芥は土になる。その土は養分豊富な土になりそこに生えついた植物を豊かに育てる。そこに実るものはそこに集まる小さな動物を養う。小さな動物を少し大きな動物が食べ養う。その動物を・・・。弱肉強食はあれども、それが大きな意味での地球の繁栄。と平塚啓さんは考えた。

初めての個展で制作した大きな木の1枚の葉っぱは枯れて土になった。

今回は向日葵の花・椿の花・銀杏の葉・桜の葉が土に還っていく様を切り出しました。

土に還ったその先に豊かな大地が生まれ、植物も動物も豊かに繁栄する。それがこの世に生きとし生けるものの未来への希望であり幸せなのではないだろうか。

「九相図」シリーズと「動物」シリーズは全然別の世界ではない。平塚啓さんの中で点だったものは実はちゃんとつながっていた。そこには必然的に線が存在する。

作家の中には作りたい描きたいものの点がいっぱい存在する。最初は唐突に心に浮かんでくる点はいつか線になり面になって制作の必然へと確信していくものなのかもしれないと、この展覧会を毎日見ていく中で考えました。
明日3月30日「九相図 向日葵」は最終日を迎えます。これからも平塚啓の作品の肝がどんどん養われていくことが楽しみだと思える幸せな最終日になりそうです。

動物礼賛ー平塚啓Paper Art

もうとにかく動物がいっぱいの会場です。
平塚啓さん、本当に動物が好きなんですね。

取材をして資料を調べて、制作で実際に手を動かして・・・。
何がここまで平塚さんの心を掴んでいるのでしょうか。
好きなものは好き、としか言えない。理屈ではない「好き」
花が好き、山が好き、猫が好き、・・・

「好き」は人を豊かにしてくれる。