月の影ー板倉鉱司鉄の作品展

「この作品1点制作するのにどれくらい時間がかかりましたか」とよく聞かれています。超絶技巧の作品ならそれもわからないわけではないのですが、そういう作品に限らず実は多くの作家さんが聞かれその答え方に困っています。

ことこの板倉作品において実際に鉄板を切って溶接をする時間なら膨大な時間はかかりません。仮に「1時間」としてそう答えたとしたら、え?そんなものかと質問者は思うだろうし、人によってはなんだ簡単なんだと思う人もいないとは言えません。

板倉作品のようにぴっちりまっすぐな線ではないし、パーツも多くないと、それを時間に換算されるのはちょっと違うなと思います。
昨日のブログでも書いたように自分の感性に合わなければ没の山ができることだってあるのだし・・・。

そして何よりもこの形に作ろうと思うまでにどれだけの時間がかかっているのか。

ある作家が「アイデアを考えるのに七転八倒するし、それを形にするのにまた七転八倒するのだけど、それが作品を通して他人に見えたらかっこ悪いよね。」とおっしゃった。
板倉作品はさらっと作っているように見える。七転八倒の後が見えないからかっこいい。だけど思い悩む時間だって、ある。

ピカソはさらさらっと描いた絵に値段をつけたら相手に「これしか時間がかかっていないのに高すぎる」と言われたそうだ。その時「この絵を描くのに自分の年齢分の時間がかかっているんだけど」と返したというエピソードがある。

制作時間にはその作家の人生時間も含まれていることを忘れないようにしたいですね。

翔ぶことを考えるカマキリー板倉鉱司鉄の作品展

子供が紙をちぎって糊で張り付けて立体を作ろうとするように自分も作品を作ると板倉鉱司さんは言います。ただ違うのは紙ではなく鉄で糊ではなく溶接なだけだとも言います。

確かに発想は同じなのかもしれない。
なんとなく足のような形、なんとなく頭のような形、なんとなく・・・を、プラズマ切断機で切る。正確な形にこの大きさのものを切るのはこの切断機ではできないのだそうです。同じように正確な位置に溶接するのも難しい。

そういう事情でこういう作品が仕上がっていくのだけど、自分の心にぴったりあわないものは作品として日の目を見ないことになるのだそうです。そこには作家としての厳しい目がある。案外没になることも多いらしい。

自分の気持ちにしっくりくるという感性。
この感性こそ作家として一番大切にしなければならないのだろう。
厳しい目はできあがったモノを客観的に見るということなのだけど、それはきっと自分自身をどれだけ厳しく見つめるかということなのかと思う。

作家とはなかなかきつい稼業だ。しかし、会心の作を見る目はまた何とも言えない喜びに満ちている。そんな姿を見るとちょっとうらやましくなる。

羽ばたくー板倉鉱司鉄の作品展

素材は3㎜ほどの鉄板。
鉄なのに見る側に重さを感じさせない。
片方の足が少しだけ台から浮いている。それもまた重さから解放しているのかもしれない。

「鉱さんらしいね」と今日観てくださったお客様がおっしゃった。板倉さんは地元で「鉱さん」と呼ばれているのだけど、彼らは板倉さんのことを親しみを込めてそう呼ぶし彼の作品と彼自身を重ね合わせていてくれるようだ。

70年も生きていると誰だって少しばかりの不自由と一緒に生きていかなければならない。まして板倉さんは難病との付き合いもある。不自由は重い。板倉さんは作品を通して不自由からの解放を会得しているように思う。現実はそうでなかったとしても・・・、いや板倉さんに限ってそんなことはない。

飛ぶことを考えていたらわくわくするという板倉さんだから、不自由なわけがない。彼の作品を見たらそのわくわくが伝わる。もっともっとたくさんの人にわくわくを伝えたいな。

紙ヒコーキー板倉鉱司鉄の作品展

板倉鉱司さんの個展作品を飾りつけし始めたときでした。
私は床に座って箱からいくつもの作品を取り出していた時のことです。
まだ無造作に作品がそこらに置かれていたのですが、ふと上を見上げるとこの作品が目に入りました。不思議なことにこれは飛んでいたのです。

もちろん台座に固定されたそれが本当に飛ぶはずもないのですが、確かに飛んでいた。その後もこの角度から見てみると、やっぱり飛んでいる。ほかのかくd

彫刻はいろいろな角度から作品を見るといろんなことが見えてくる。
自分だけに見える何かだっていっぱいあるんだ。

板倉作品もいろんな角度から見てほしい。
会場の関係でぐるっと回りこめるように展示してはいないけど、私に声をかけてください。展示の位置を替えるお手伝いをします。新しい魅力を発見するのは楽しい。もちろんどの作品も同様です。たくさんの魅力を発見していってください。

雲の平(雲を動かす方法)ー板倉鉱司鉄の作品展

ある程度大きくなると「雲は霧なんだよ。だから雲の中にいるって霧の中にいるのと同じだよ。」と教えられて知識としていつの間にか頭の中に入っているという経験は多くの人にあると思う。そして山に登ったり飛行機に乗ったりして雲の中に入る経験を初めてした時、こういうことだったのかと軽く感動したのは私だけではないとも思う。

板倉さんが最初で最後の登山をした時も雲の中にいた。
できればあの雲の上を飛びたい。そう思うと少しわくわくした。

もともと病弱だった板倉さんにさらなる試練が数年前に来た時、そのわくわく感を思い出し、また生きる希望を見つけることになったのです。

あの時の「羊雲」を作った。木片を削って80個ほど作った。
1つ1つナイフで雲を削って作っていると空を飛ぶ力を蓄えていくような気がするのだそうです。それはそれはわくわくする時間だった。木片の触り心地。削り進めるとどんどん手に馴染んでいく。あの柔らかい羊雲がぽこぽこと出来上がっていく。

この「羊雲」の上を板倉さんは心地よく飛んでいるんだ。

羊歯(胞子植物)、lobe(葉)globe(地球)-板倉鉱司鉄の作品展

「鉄の作品展」ではありますが、13点の銅版画も出品しています。

板倉さんの個展に銅版画はほぼ展示されるのですが、今回はいつもとやや作風が違っているように思います。
何が違うか?
これまでは輪郭線のある形を描いていました。今回一番描きたかった雲や影にははっきりした形が無いので輪郭線を描きたくなかった。輪郭線を描かない。そこに違いがあります。

「雲」と言っても入道雲のように力強くはっきりした雲なら今までの描き方でもよかったのかもしれませんけれど、今回は山で見た優しい「羊雲」です。ふんわりした「雲」を描きたい。

行き着いたのはドライポイントでした。
どうです?「羊」がいっぱい飛んでいませんか。

リルケの影ー板倉鉱司鉄の作品展

初めてプリズムで板倉さんが個展を開いてくださったとき「リルケの詩を形にしたらこうなったじゃんね」と三河弁でおっしゃいました。

リルケ近代ヨーロッパの文学者であることは知識として知ってはいたけどはて?
会場に並んでいるのは優しい形の花や草木動物や昆虫。
リルケって確か小難しくて敬遠してたはずなのに、そこにある作品はわかりやすく、なんならかわいい。私の頭はたちまち混乱の渦。

板倉さんは「リルケは生きるために大事なことは森が教えてくれるって書いているからそれを作った」と。

慌ててリルケを読んでみたけど、私にはやっぱりわからなかった。

リルケはわからなかったけど、板倉作品はどんどん心に沁みこんでくるのでした。

病に悩む若き板倉鉱司さんはある牧師さんと出会い芸術や文学や哲学に触れることになりました。そしてそれらは前向きに生きることの意味を教えてくれました。とりわけ作品を作ることはそんな時期に知り合った彫刻家掛井五郎氏の制作の手伝いをするという経験から目覚めたのでした。

リルケの存在は板倉さんの根幹でもありように思います。

この作品は「リルケの影」
リルケの文章を理解するための時間がとても楽しいと言います。リルケだけではなく文学も哲学も自分なりの解釈をじっくり進めていくことは一生の楽しみなのだそうです。

「空を飛ぶ」って自由に思索にふけるっていうことも入っているのかな?

板倉鉱司鉄の作品展ー影と曇(空を飛ぶ方法についての考察)

「空を飛ぶ」がここ数年の板倉鉱司さんのテーマです。
齢70を越えた男性が大真面目に語り始めると少々の戸惑いを感じます。
本人が真摯にその答えを土着の三河弁で語る姿に戸惑いながらもつい引き込まれてしまうことにまた戸惑う。

板倉さんに病気が見つかったのはもう半世紀以上も前、彼が高校生の頃でした。それでも憧れがあって入部した山岳部。初めての登山に行ったときみんなについていけなくて続けることは断念したのだそうです。たった一度の登山だったけどその時行った雲ノ平の霧を忘れなかった。霧は雲だ。その後、体調は気を付けていればそこまで悪くはならなかった。それでも寄る年波は過酷にも彼を苦しめることになりました。いよいよ覚悟をしなければいけないかと思うと辛さもある。そんな時あの雲の上を飛べたらいいな、どうしたら飛べるのだろうと考えたら辛さも随分楽になったそうです。幸いなことに難病指定を受けることができ治療が始まると体調はそれまでとは格段に良くなり今に至ります。

「空を飛ぶ」なんて物理的に不可能なことは当然知っているし、少しぎょっとされることだってわかっている。だけど自分が楽しくいる方法は知っていたほうがいい。それが板倉さんにとっては「空を飛ぶ」なんだ。それを作品にしたというだけのこと。

「鉄の作品展」だけど、今回は雲を木で作った。木彫だ。
「羊雲」の上を飛ぶイメージでインスタレーションとして作品を展示しました。

4月14日(木)-24日(日)*火曜休
正午-午後7時(最終日は午後5時まで)

水野加奈子日本画展ー最終日

「水野加奈子日本画展」は本日最終日です。
「engimono」で今という時代の幸せを切実に祈ること。誰の心にも響く展覧会になったと思っています。

次回は4月14日(木)-24日(日)*火曜休廊「板倉鉱司鉄の作品展ー影と雲(空を飛ぶ方法についての考察)」です。板倉ワールドから何が飛び出すのか楽しみです。

宝船ー水野加奈子日本画展

画面全部がめでたい物ばかりの「宝船」。金銀財宝がザクザク。
この「宝船」は宝ずくしと言われるものを満載にしています。

金箔を和紙の裏に張り込んで作った下地は微かに内側から光を放ち、抑えた華やかさが上品な絵に仕上がっている。

物欲を満たすことが幸せのすべてではないが、できれば豊かな生活を手に入れたいというのが人の持つ憧れです。
ささやかな憧れを絵を飾って願うという謙虚さは素敵だなと思います。

明日この展覧会は最終日を迎えます。
疫病・戦・天災に心が沈みがちな毎日ですが、絵を観ることで少しでも気持ちが明るくなれればいい。それが水野加奈子さんの絵を描く原動力だったことが本当に嬉しい。あと1日の会期ですが観に来ていただければ幸いです。