
すでにFacebookページやTwitterからお知らせしておりますが、下記のよう「獅篭落語会」を開催いたします。
またゲスト日替わりです。
15日 立川こしら
16日 立川こしら
17日 立川こしら 旭堂鱗林
18日 旭堂鱗林
21日 旭堂鱗林
23日 旭堂鱗林
*ゲスト随時更新予定。
※定員…各回ご予約10名(ソーシャルディスタンス確保のため予約制)

WHITE MATES bldg.1F 1-14-23Izumi Higashi-ku Nagoya Japan Phone052-953-1839

すでにFacebookページやTwitterからお知らせしておりますが、下記のよう「獅篭落語会」を開催いたします。
*ゲスト随時更新予定。
※定員…各回ご予約10名(ソーシャルディスタンス確保のため予約制)

1970年代は華やかだった。
雑誌を開けばショッキングピンクや蛍光色にあふれていた。そんな色をこれでもかと詰め込んだようなヴィジュアルをサイケデリックともてはやした。ヒッピー文化が最高にかっこよかった。横尾忠則さんも田名網敬一さんもサイケの旗手のような存在だった。あの頃のポスターは今見ても私なんかは「いいな」と思うのです。
さてその田名網さんの版画集。
バブル経済もほぼ終焉という頃、版画集「森の祝福」は出版されました。オール特色オフセット30枚セット。特色(4色分解ではなく全部の印刷インクはインクの状態で色を作る)という贅を極めた印刷です。何色あるのか数えたけど途中で分からなくなるほどの色数でした。鮮やかな色を表現するにはこれが一番なのです。
そして極めつけはその鮮やかな色に負けない造形力。これは実物を見ていただくしかありません。
作品の下に置いてある箱の中に今も15点ほどの版画が入っています。
運が良ければご覧いただけます。

宇野亜喜良さんと横尾忠則さんも深い仲です。
1964年原田維夫と3人で「スタジオ・インフィル」を設立し一緒にグラフィックデザイナーイラストレーターとして活動をすることとなりました。
そこに起こったエネルギーはどんなものだったか。日本が世界に追いつけ追い越せの時代です。ただでさえ熱い時代にこんな3人が一緒に仕事するのですから、さぞかしひりひりするような時間だったことでしょう。
現在80代も後半だというのに全く衰えないお二人の創造力には、今も驚かされるばかりです。

「横尾忠則の時代」展は変則的スケジュールにさせていただいています。
明日3月29日(月)と30日(火)は休廊日です。
大変申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

昨日紹介した灘本唯人さんは早川良雄事務所で早川先生の片腕として力をつけていったという経緯があります。早川先生も関西のご出身ですから当然横尾忠則さんとの接点は多くあったと思います。
この作品は晩年にできる限りの作品のアーカイブを制作するという目的でできるかぎりのデジタル化をしました。その時に一部デジタル版画(レプリカ)にして展覧会をした時の1点です。
当時の最高の技術を駆使したもので原画と見まごう再現性は今でも驚きます。

横尾忠則さんは兵庫県西脇市のご出身です。
高校卒業後神戸新聞のデザイン部で働くのですが、そこに推薦したのが灘本唯人さんなんだそうです。
グラフィックデザインの黎明期だった。
「横尾ちゃん、東京に行かなくちゃだめだね。行こうか。」と灘本先生がおっしゃったかどうかは知りませんが二人は東京を目指すことになるのです。
関西から日本のグラフィックデザインを見つめて上京し、以後お二人ともトップを走り続けたのでした。
灘本先生は亡くなられて間もなく5年になります。
横尾さんより少し年上できっと上京後も何くれとなく気を使われたのではないでしょうか。灘本先生とはそういうお方でした。
横尾さんの視点がグローバルなら、灘本先生は昭和の人情みたいなものをよく見ていらっしゃったように思います。

横尾忠則という作家は好奇心の塊みたいな人だと思います。
プリズムでの2回目の個展はデジタル版画の展覧会でした。
2002年のことです。今から約20年前、デジタルも版画として流通し始めたころのことです。当時新しい技法だったデジタルでの制作にわくわくなさっていたに違いありません。
デジタル版画、ジークレーとも言いますが、単に手描きの作品をスキャニングして版画としている場合もあります。しかし横尾さんのこの作品は本当の意味でのデジタル版画です。写真や手描きした部品をコンピューターに取り込んでそこから作品として構成していくという手法です。だから手描きの元絵というもはありません。つまりコンピューター上で制作をしているのです。
普通版画にはエディションナンバーというものがあります。〇/△、△枚刷ったうちの〇番目です。という意味ですがこのシリーズには通し番号しかありません。
すでに大家となっていた横尾さんの作品は安くは手に入らなくなっていました。多くの人に持っていただきたいということから、欲しい人がいれば何枚でもプリントします。という理由から通し番号になっているのです。だから価格もずっと上げないと決まっているのです。
ただしオファーがあればその都度プリントするのですが、色調に関しては毎回ご自分で監修し、時にはかわることもあるということです。
事実、この展覧会はニューヨーク、ロサンゼルス、東京、名古屋と開催されたのですが「最後の名古屋でやっと赤が納得のいく色になった」とおっしゃっていました。日々刻々心は変化します。今はまたきっと違う赤が横尾さんの心にあるのだと思います。
20年前の一番をぜひ見てください。

「うろつき夜太」は1973年から1974年に「週刊プレーボーイ」に連載された柴田錬三郎氏の小説です。当初から挿絵担当として横尾さんと組んでの企画だったようです。その後絵草紙として豪華本としても出版され人気を得たものを1993年シルクスクリーン版画として東京青山のスペースユイから世に出されたシリーズです。
柴田と横尾は共に同じホテルに缶詰めになり相手からの刺激を受けて執筆・制作をすすめていたようです。
「夜太」のイメージを膨らますために俳優の田村亮をモデルに構想を練っていたその現場を写真に収めそれをモチーフに挿絵にしたのがこの作品です。
1970年代の横尾ポスターを彷彿とさせる色使いにあの頃の時代が持つエネルギーを感じます。
挿絵が小説のストーリーではなく、少しずらした視点で描かれたことも横尾さんらしい創造力です。それでも・・・いやそれだからこそ、「夜太」のカッコよさがグンと伝わるのです。
さぞかし熱い現場だったんだろうな。
熱い現場が横尾さんの周りにはきっとたくさんあった。そんな時代だったのを、今もこの作品が伝えてくれています。
プリズムには横尾作品が4点しかないけど。今愛知県美術館に行けば、ずっと熱く生きてきた横尾忠則の時間の連続が見える。

大変申し訳ありませんが、「横尾忠則の時代」のみ営業日営業時間を少し変更させていただきます。
月火曜日休廊 日曜日のみ午後5時までの営業
そのほかの日は通常営業です。
水木金土曜日 正午ー午後7時
よろしくお願い申し上げます。

現在愛知県美術館で開催されている横尾忠則さんの大回顧展は圧巻でした。
愛知県では初めての美術館での個展です。
残念ながらCOVID-19の影響で大々的なコマーシャルができないせいか決してたくさんの人々に見ていただけていないようです。
横尾さんが世に出たのは22歳の時今から62年も前のことになる。
以来ずっとトップランナーであり続けています。
60代の私にとって文化というものを意識した時から横尾さんはいつも一番上にいたとも言えるのです。
初めて知ったのは「寺内貫太郎一家」だった。何もセリフらしいものも演技もないのに出ているのはなぜかと思っていたら横尾忠則という有名な絵を描く人らしいということを知りました。
作品のことをいつ知ったのか記憶がない。
大好きなサイケデリックなポスターも意識的に知ったのではないのだと思う。
そんな横尾さんの個展が自分のギャラリーで開催できるなんて考えてもみなかった。版画展ではあったけれど、幸せなことでした。2回の版画展で数点の作品を所蔵することになりました。少しずつみなさんに買っていただき今は4点になってしまいました。
今回の美術館での回顧展では出品されていない版画4点をこの機会に観ていただくことにしました。
横尾さんと同じ時を共に歩んだ灘本唯人・宇野亜紀良・田名網敬一・早川良夫氏とのエピソードを添えてこの時代を知っていただくことを「横尾忠則の時代」のコンセプトに構成してみました。