
進学校に進みながら半ば放棄するように受験に背を向け数年分の労働で得た蓄えを持ってスペインはマドリッドの美術研究所に入ったのはもう50年も前の事。
ヨーロッパ人の卓越したデッサンに恐れをなし、毎日のように通ったプラド美術館ではこれほどの技量を持たなければ画家になれないというのなら自分には一生かかっても無理だとしょげる。知り合った日本人は圧倒的なデッサン力を持ちながら東京藝大を三浪もした猛者だったにもかかわらずある日薬におぼれこの世を去った。
弱弱しい線しか描けない百瀬博のデッサンを仲間の画学生が「すごくいいから売ってほしい」と言われる日が来た。それでも自信なんて持てるはずもなく断った。その出来事で心に温かい火がともった。グレコにもベラスケスにもゴヤにもなれようはずもないがならなくてもいいとも思えるようになる。
学校が休みの日にはスペインのたくさんの村や街を歩き回った。
シエスタの時間になるとだれもいなくなる。それなのに人の気配はあり暖かい空気が自分を取り囲む。
吹き寄せられるようにスペインくんだりまでやってきてしまったけれど、それは素晴らしい時間だった。そしてマドリッドでみち代さんとも出会ってしまった。人が吹き寄せられると奇跡さえ起こる。
あれ?「吹き寄せられた先で」ってこういうことも含まれるのだろうか?倉中玲さん!
やがて懐も底をつきそうになり日本に帰ることにした。2年という時間が経っていた。
25年ほど前からスペインの建物を描くようになった。これも描き続けているモチーフなのだけど、なぜなのだろうと見続ける私は思ってきた。もしかしたらスペインと彼自身の心の距離を確かめるための絵なのかもしれない。
いつか一人でスペインに行ってみたいと彼は言う。きっとあの時住んでいたアパートは今もあるだろう。それを見て自分は何を思うのか確かめてみたいのだそうだ。
そうしたらスペインの人が棲む建物の絵はきっと少しだけ変わるのだろう。
