「雲の中から(華足)」ー久野晴美木版画展

「華足(けそく)」を知っている人は相当な仏教通か飛鳥奈良の時代に精通している方と思います。

仏様の前にお供えを乗せる台を観たことのある方は多いはずです。その台の足が花や葉の形をしたものを「華足」と言うのだそうです。西洋の家具なんかだと猫足なんというのがありますがそれが花っていうことですね。

有名は「華足」に正倉院宝物もあるのだそうです。

「華足」は仏様をおもてなしするから「華」という発想なのだと思いますが、久野晴美さんは仏様をお守りする神獣に見えた。神獣だったとしたらこういう動物かなという作品です。実際に昔から伝えられている神獣ではないけれど、伝統的な神獣だって人間が想像して創造したものなんだから、久野さんが創造したっていい。

雲の中に遊ぶ「華足」楽しそうです。

久野晴美木版画展ー吉祥文様と神獣

木版画家久野晴美さんの個展です。
古代より縁起が良いものとされる文様と守ってくれる空想上の動物神獣を久野晴美独自の創作を木版画で表した作品を観ていただきます。

どんな思いを作品に込めたのかは日々の投稿で解き明かす予定です。

「久野晴美 木版画展ー吉祥文様と神獣」
2025年4月17日(木)-27日(日)*火曜日休廊
正午ー午後7時(最終日は午後5時まで)
久野晴美在廊  木、金、土、日曜日午後1時―4時

全容を作家の言葉で知りたい方は4月20日(日)午後1時30分~アーティストトークを開催しますのでお出かけください。(30分程度 個展会場 参加無料 予約不要)

小山恵展ー最終日

「小山恵展」は本日最終日です。(午後5時まで)
深いテーマの展覧会でした。これで終わりではもちろんない。これからどれだけ深く掘り下げてくれるのかを楽しみにしたいと思いました。

次回は4月17日(木)から「久野晴美木版画展ー吉祥文様と神獣」です。20日(日)午後1時30分からアーティストトークも会場で開催します。(予約不要・参加無料)是非お出かけください。

津島天王祭(夜祭)ー小山恵展


神や死者の霊をまつる。
自然に対する祈願・感謝。

津島の天王祭を知っていますか?
夜祭は無数の火のついた提灯を乗せて巻き藁舟を水に浮かべます。
それはそれは美しいお祭りです。その美しさを神に奉納する。

見えているのかどうか確かめることもできない神や死者にこの世の人々は懸命に美しいもの豪華なものを捧げる。
その愛おしい心を絵に留めたい。それも小山恵さんはこれからのテーマの1つに加えたいと思っています。

明日恵さんの個展は終わります。終わればまた次に向かいます。まったく違うところに向かうのではなく、今自分の心を占めるからくり人形も曼殊沙華も動物も描き続けます。あの世とこの世をつなぐ1つとして「祭」も登場しそうだということなので最後に「津島天王祭」の絵を紹介しました。

あの世とこの世をつなぐー小山恵展

「彼岸花ってあの世とこの世をつないでくれる気がするんです」と来場されたお客様がおっしゃいました。からくり人形もお祭りの山車に乗せて神様にささげられることがあります。彼岸花もからくり人形もそういう存在なのかもしれません。

小山恵さんは20年ほど前に突然の病を得ることがありました。助かったのは奇跡と主治医に言われるほどのことだったそうです。だれでもいつかは行かなければならないあの世と現世をつないでくれるものがあるのは心安らぎます。誰でも行くのなら身近なはずなのに遠いところ。

現世で生きることの重みを思いつつの恵さんの制作です。

たたずむ猫ー小山恵展

お客様がいらっしゃらない時間、作家のみなさんは私の向かい側に座っています。私から見ると小山恵さんが座っている左にこの絵が見えます。恵さんの顔の角度と猫の顔の角度がほぼ同じに見える瞬間がよくあります。

恵さんの顔は決して猫顔ではありません。でも似てる。

これってよくあるといえばあること。恵さん自身も「目つきかな」と。ある意味自画像なのかもしれないともおっしゃいます。そうか、ご自分でも思うところがあるのか。

小山家のお姫様猫なのかと思ったら、隣家の猫さんだそうです。
でも、毎日朝になると小山家にやってきて夕方になると飼い主さんが迎えに来るのだそうです。この猫(こ)は帰りたがらなくて毎日ひと悶着。小山家にとって大事な猫さんなのでウチの猫(こ)にしたかったのだけど、お隣にとっても大事な猫だそうで決して「うん」と言ってはいただけないのだと残念そうにおっしゃっていました。

故郷を恋うラクダー小山恵展

小山恵さんは動物が大好き。

ご自宅の近くにある動物園の年パスを持つほどです。
ラクダはなかなか人に懐かないそうですが、このラクダは恵さんのことを認識していてカメラを向けると愛想をしてくれたのだそうです。

コロナの期間中にラクダは死んでしまいました。
このラクダは日本生まれかもしれませんが、故郷を思って逝ってしまったような気が恵さんにはしたのです。

ある日とても美しい夕日に遭遇しました。
こんな美しい夕日の砂漠の中にラクダを帰してあげたくてこの絵を描きました。
きっと故郷に帰れて喜んでいると思います。

炎華繚乱ー小山恵展

小山恵さんにとって曼殊沙華(彼岸花)もからくり人形に匹敵するくらい重要な存在だそうです。

一本の曼殊沙華も繊細で完璧な美しさを見せてくれますが群生しているときに放たれる朱赤の塊には我を忘れて見入ってしまうそうです。

毒があるから触ってはだめだと子供の頃大人に言われた人は多いと思います。そんな経験がこの花の怖さに繋がっているのだろうけれど、「毒」「だめ」というワードはかえって子供の心に怖いもの見たさの心を育ててしまう。怖いものをそっと見てみたら、それは別の世界に連れ去られてしまいそうな美しさがあった。大人の目を盗むようにして見た曼殊沙華はまたさらに美しさを増していた。

あの朱赤をシャープに柔らかく描きたいと日本画まで勉強するほど恵さんは曼殊沙華にのめり込んだ。顔彩なら自分が納得のいく朱赤がかけるようになりました。そしていつしか主に使っているアクリル絵の具でもあの朱赤のニュアンスが描けるようになってきたと言います。

曼殊沙華とからくり人形は恵さんの心の中では同じ意味合いを持ちます。
これからも絵の中に何度も登場することと思います。

嵐の一夜(弓曳小早舟幻視)ー小山恵展

この個展では一番大きな作品です。

不思議な場面なので「これどういうシチュエーション?」と聞かれることも多い。

ある日小山恵さんは大雨にあいます。線状降水帯とニュースなどで流れるあれです。幹線道路だったので大渋滞にまきこまれたのですが、怖いことに大きな川2本と海が近いところでした。三方から水がひたひたと迫ってきました。このままでは車もろとも水没してしまうというとき、その道路沿いに銭湯がありました。少し高いところに駐車場があったのでそちらに避難したのです。
そこにいればまだ水が迫ってきても銭湯の屋根に登ればいいと判断できるほど危険回避に確信が持てました。すると急にその状況が冷静に見えてきました。

観察したその状況を絵にしてみよう。
実際にはかなり差し迫った状況。水が迫ってくる怖さを実際に見えていたものはもちろん絵の中に描きこんだ。そこに怖さの象徴として9代目玉屋庄兵衛さんの「骨からくり」を入れました。木で作られているとはいえ骨だけで表現している現代からくりです。手に持つ弓は本来舟の舳先にある的を射ることができるそうですがそこは恵さんの創作が入っています。(骨からくりを絵にすることは庄兵衛さんの許可を得ています)

からくり人形を恐怖の象徴として入れるのは効果的です。
からくり人形が恵さんの感情を表現するものとして登場するのは今回はこの1点だけですがこれが最初で最後とはならないだろうと思います。からくり人形を描き始めてすでに10年近くになるそうですが、どんどんその見方が深くなっているようです。まだまだ見えてないことがあるに違いないとおっしゃいます。

からくり人形と恵さんの二人三脚はある意味始まったばかりなのかもしれません。

乱舞のからくりたち―小山恵展

「からくり人形」に出会ってしまった小山恵さん。
からくり人形の動きから目を離せなくなってしましました。

愛知県にはからくり人形を持っている地域がたくさんあります。お祭りの山車にからくり人形があってお祭りを盛り上げているのです。恵さんは各地のお祭りをたくさん見て回っています。人形たちの華麗に動く姿は素晴らしい。
自分の絵の中でも舞わせたい。
「乱舞のからくりたち」はそんな思いの中から生まれた作品です。

お祭りで見て写真に撮るだけでは絵にするのは難しいので、自身の手元にも7体ほど置いているそうです。昨日紹介した「太鼓を叩くからくり人形」は7体目の人形だそうです。お祭りで見たのと同じ動きはしないし、同じ顔ではないけれど手元の人形を矯めつ眇めつし、そして自分の創作も含めて絵にしていくのです。

この絵の3体の人形は全部同じのはずですが、手持ちの人形で角度を変えてみたりもするので同じ顔にはなっていません。それが小山恵のリアリティ。

人にできるだけ近づかせたいと生まれたからくり人形。人間のように動く人形。完璧な動き。だけど人間と同じではない。人間はいつも完璧ではいられないのだから、ある意味からくり人形は人間を越えてしまった。越えてしまったがために人間から遠ざかった。それでも恵さんの目はからくり人形から離れないのはなぜだろうか。