

WHITE MATES bldg.1F 1-14-23Izumi Higashi-ku Nagoya Japan Phone052-953-1839


昼間はまだ夏の装いでも十分過ごせますが朝晩はさすがにひんやりします。
こまめに自分にとっての適温で過ごすためのアイテムは必要です。こういうときに無理をすると風邪をひいてしまったりします。
羽織り物は持っていたいアイテムですが、この季節にぴったりはあまり長く着れません。すぐに冬になってしまうからついつい我慢してしまいませんか。
今回この季節にぴったりの羽織り物をスペシャルプライスでご用意しました。
薄手のコートや、夏にも着られる綿のロングブラウスなどです。
おしゃれにかっこよく健康にこの秋をお過ごしください。

毎年恒例の「Goki & Artists Autumn 2026」ですが、今年は諸事情により一か月半遅れのスタートです。この数年夏の暑さが長引くおかげでそのブランクが気にならないのはいいのか悪いのか複雑な気持ちです。
今年の秋はグレイを核に会場を構成しました。
葡萄色や柿色が秋を演出してくれるようです。
それに合わせて所蔵作品も色味は抑え気味なセレクトです。
秋本番なのでGokiのスペシャルプライスを心配してくださる方もいらっしゃるでしょうが、そちらも多数ご用意いたしました。これから着ていただけるスペシャルプライスは嬉しいです。が数に限りがありますことをご理解ください。
今回は所蔵作品も思い切ったスペシャルプライスを一部ご用意いたしました。お楽しみに。

本日9月27日(日)「御囲章木版画よくあること」は最終日です。(午後5時まで)「擬植物化」というキーワードで見ると御囲章作品の世界観はとてもわかり易くなってきます。ずっと初期の頃からの視点でしたがこれからも続くはずです。2年後の作品はどうなっていくのか2028年9月を待っていてください。
プリズムは明日9月28日から秋休み(夏休みの代わり)をいただきます。
次回はいつもなら9月に開催している「Goki & Artists 2026 Autumn」を一か月遅れで開催します。ファッションデザイナー故加藤裕之氏の遺志を継いで運営しているアパレルメーカーGokiの秋物とプリズムの所蔵作品で秋をお届けします。
10月8日(木)-25日(日)*月火曜日休廊
是非お出かけください。

全作品の中で一番最後に制作した作品がこれ「必要な強がり」です。
もう30年以上も版画作品を制作しているので技術的に飛躍的な成長はないとのことだけど、今までできなかったことやどう表現したらベストのか答えが見つからなかったことの新しい解が見えてきたりすることはあるのだそうです。
最後に制作したこの作品の中にはこの2年間で見えてきたもの、できることができるようになったことがいくつか盛り込まれている。自分なりの成長を見られるからこそ次回もやろうという意欲がわく。
実際にはもう次の作品にかかっている。そうしないと2年後に個展はできない。コンスタントに手を動かさないと数が揃えられない。勢いで制作が進むという技法ではないのでずっとそうしてきたしこれからもそうしていくと思われます。「必要な強がり」ってそういうことなのだろう。

前回の個展のときのブログでも書きましたが、御囲章は生まれたときから弱視です。大きな作品だと自分の目で全体を見ることはできないそうです。
それでも大きな作品を作ります。作りたい。なぜか?
この作品「あいまいな憧れ」は2番目に大きい作品です。版木を彫るとき、作品の角から対角線に当たる角は見えないそうです。彫り進めているとこの作品の世界を自分が作り出しているなと実感します。視力が弱いところを手が補ってくれる。掘り出した線を手で確認する。自分が思い描いた世界がちゃんと掘り出せているかどうか目と同じように手が確認してくれる。彫り始めて完成するまで約一か月強かかりました。完成するとこの世界を自分が作り出したのだという達成感がある。長い時間をかけて制作しても絶対に飽きてしまわないだろうという自信があるアイデアだけを大きな作品にするとか。それだけに達成感は大きい。版画制作は止められないと思うほどの達成感。
美大受験のときたまたま出会ってしまった版画の世界はつくづく自分に合っていると御囲さんは今思っています。希望していた洋画科に進んでいたら手で絵を確認することはできない。
彫りあがった線を手で確認するという作業をする人はそういない。棟方志功くらいなものだろうか。御囲さんの作品は棟方のように激情的ではない。もっと冷静な線と面で構成されているが心の中に秘めている何かは同じ種類のものなのかもしれません。
小さい時から絵を描いてきました。プリズムの作家でもある百瀬博氏は御囲さんの幼少期からの師匠です。なぜご両親が氏で絵を描かせてくれたのか今ではわからないそうですが、以来絵から離れようと思ったことはないそうです。目のハンディで困ったのは遠近感を出す工夫と大きな作品の完成が見えないことくらいだそうです。
少しシニカルな作品を制作できる喜びも見てください。

「余っても足りない」がこの作品のタイトルです。
御囲作品では作品の視覚的な部分は大前提ですが、タイトルのファンも少なからずいらっしゃいます。
作品の大まかなコンセプトが決まった段階でタイトルを決めるのだそうです。
言葉にしたことでコンセプトはより明快になり絵的にもより鮮明になってくる。
そういう状態で制作がすすみ、フィニッシュした時点で言葉をもう一度練り直す。
「擬植物化」をした絵はあまりそこらで見ないので少し言葉でヒントを作っておかないとわかりにくいのではないかとの思いでタイトルにも気を入れる。
絵のアイデアとタイトルとかなり深く考えることによって両面から作品に対して推敲を重ねているように思う。
「足りない」と思ってたくさん自分のところに集めてはみたけれど、まだ足りないと思うこと。飢餓感。本当に足りないのかと言えば使い切れない。求めていた何かと少し違うような気がすることって誰にでもありそうだ。

「御囲章木版画展よくあること」のDMに使われた作品です。
作品が伝えることを中心に書いてきましたが、今日は御囲さんの技法について書きます。今までの個展でも毎回書いてきたことなのでもう十分ご存じの方は今日のブログはスルーしてください。
御囲さんの作品は木版画なのだけど、一版多色刷り(彫り進め)という技法です。一般的な木版画は色数だけ版を作ります。4色なら4枚版木を彫るということです。「彫り進め」は版木は1枚。4色であっても1枚。たとえ10色であっても1枚です。
この作品は黄色・水色・青・黒がかった青の4色のインクを使うのですが、まず黄色分の版を彫ります。彫りあがったら黄色のインクで刷ります。刷り上がったら黄色分の版木に水色分を彫ります。彫りあがった版木で水色を刷ります。紙の上では水色の下には必ず黄色があるということになります。青・黒がかった青も同じように彫って刷ります。黒がかった青のインクの下には黄色・水色・青のインクが重なっているということになります。最終的に見える色はそれぞれの色の重なりによりもので、4色以上に見えるのは御囲さんの計算でなりたっている結果です。
なかなか複雑な作業のように思いますが、もう30年もやっているのでこれが普通ですと御囲さんはさらっと言います。間違えることもほとんどないそうです。そうは言いますが、線の複雑さも相まって超絶技巧という言葉が頭をよぎります。
そういう工程で生まれた作品なので1色目の版木は2色目を彫り始めると同時に存在しなくなります。つまり、作品が完成したら他の版画と違って刷り増しをすることができません。過去の作品も含めてある程度の枚数を一色目から確保するそうです。でも売切れたらそれで永久に増えることは無いのです。
工程を頭に置いて観るのも一興です。

根菜のような植物が2本。
生命力を誇るように植わっている。
はち切れんばかりの成長はその個体にとって我が世の春的でもある。
手前の植物は後ろのものより大きく勢いがある。
後ろのもまあまあ元気ではあるけれど、下葉の部分は少し黒っぽい。
この作品のタイトルは「意気揚々」なのだけど、とても元気なのはいいのだけどその周りには日影ができ少しばかり元気を削がれてしまうことってあると思うので、そこも表現してみたのだと言います。
作品の中に少しばかりの毒を入れる。それが現実のリアリティ。
元気溌剌はいいけど、そこにあるすべてがそうであることはほぼない。
みんないいんだよなんて理想を描くのは自分らしくない、とも思っているらしい。

御囲章さんの作品は植物モチーフだけど人を表しているのだけど、それってどういうこと?と初めて聞いたときには理解不能になる。
物や動物をあたかも人のように描くことを「擬人化」というように人を植物に置き換えて描くのが御囲流なのです。「擬植物化」とでもいえばいいのでしょうか。
この作品でいえば、人があーでもないこーでもないと考えすぎたときもう考える隙間がない頭の中ってかちんかちんに固まっているようにかんじることがあるのだけど。それを架空の植物で表現してみると御囲さん的にはこういう絵になるのです。花や実がなる部分は石や岩でできているかのよう。頭痛そう。
この作品、今まであまり使わなかった色が登場しているのが目を引きます。
長く一人の作家を見続けているとちょっとした変化を見つけることもあってそれが楽しみの1つでもあるんです。