母への想いー花井正子展

もう十分お母様への想いを描き綴ったのではないだろうか。
最初から花井正子さんからの感謝の気持ちはお母様には伝わっていたと思うが正子として母の一生に絵描きとして向き合いたかったのだろう。

初日の朝母に納得できる作品を皆さんに見せるからねという報告をしたと花井さんは晴れ晴れとした表情で私に伝えてくれた。

林檎はこれからも描くと思うが今までとは違うと思うと語ってくれた。
一人で逝かせてしまったのは偶然にことだった。それぞれの娘たちが自分から巣立ってそれぞれの道に進んでいることにきっと満足した晩年だったことだろう。

林檎は一人で逝かせてしまったことを花井さんに突き付ける存在ではなくなった。

青い背景に溶け込むようにいったん林檎は終わる。

これから登場するかもしれない林檎を初めとしてこれからも自分と向き合って絵を描いていく花井正子さんの絵を見届けていってほしい。

あるべきものー花井正子展

存在を極力消し去ろうとすればするほど、心の中でその存在が大きくなるのはよくあること。

それでも時間が少しずつ気持ちを風化させてくれることもある。

できれば負の記憶がいつしか正の意識に変わっていってほしい。

あの日の林檎は色も形もはっきり覚えているだろう。ぼんやりとしか覚えていない林檎もあるのだろう。いくつの林檎を食べたのだろうか。
林檎がいつも身近にあったことだけ忘れなければ、それでいい。

忘れるわけもない、あの頃の林檎の味。

青い実だって赤い実ー花井正子展

個展のタイトルが「赤い実」だからといって青い実を描いてはいけないなんてきまりはない。この絵のタイトルに作家が「赤い実」とつけたとしても何の問題もない。

花井正子さんにとってこの絵を描くのにこの「青」以外に選択肢は無かったと言うだけだったのに違いない。赤だとか青だとかではなくこの「青」が彼女の心に最もふさわしかったのだろう。

ただ見る側としては何で「青」だったのか作家の真実とは離れるかもしれない想像をするのは自由だ。作家が「青」を選ぶのと同じように自由に想像していい。

赤でもないし左の絵など「実」はもう林檎の形ですらない。見える形を超えるほど自由な世界での表現。

林檎にとらわれるな。「赤い実」にとらわれるな。
その向こうにある魂の真実に触れろ。

実ー花井正子展

余計なことをたくさん書いてしまいたくなる。
黙っていよう。

画面の「白」大半の「白」と左端の「白」は違う。
左端の「白」は2つの「実」がある世界をを拒絶しているかのようにも見える。

感情が豊かな世界は暖かいがめんどくさい。いっそ無機質な世界にはある種の居心地の良ささえある。

林檎…宇宙の恋 灯ー花井正子展

たいていの子供は多かれ少なかれ何かしら大人からの理不尽な理由で傷ついている。わかり易い例なら戦禍で逃げまどう子供。これは言語道断な悪いたとえではある。親たちのちょっとした不機嫌だって十分子供は傷つく。

花井正子さんだって例外ではなく、傷ついた過去がある。
子供の頃の事なんてさっさと忘れなければいけない。本当にそうだろうか。
傷つくという感情を知っているから他人の痛みを想像でき優しい人間にもなれるのではないかと思う。

傷ついたこと思い出すとふと立ち止まってしまうのだけど、そこから立ち上がって前に進むという術を自分の中に確立することこそ、大事なこと。

絵を描くことで前に進むことができるのは絵描きとして一番正しい生き方なのだと思う。

10年以上前から描き続けている風景画では夜の風景の中に小さな光を描き続けてきた。「こんな暗い絵を描いていると花井さんが死んでしまいそうな気がする」とおっしゃった方がいらっしゃったけど、私はそう思わなかった。光は進むべき目的地。目的地を描く花井正子は生きる道を見失うまいと必死に生き進むように見えたから。

傷ついた子供の心を忘れないでいるのはいつまでも過去に固執しているのではなくて、幼かった彼女を守ろうと林檎を置いて働きに出かけていた母の愛を忘れないためなのではないか。

あの日どんなに寂しくて不安であっても赤い実(林檎)があるウチの中で待っていることが目的地に向かうことだった。

赤い実d.-花井正子展

名古屋は連日の記録的な猛暑です。
40℃という記録は出ませんがプリズムのある市街地は当然そんな数字を軽く越している模様です。本日花井正子展は4日目ですが、お客様は15時過ぎでないとお出かけになれないようです。

個展前にはこのような猛暑を予想できず、花井正子本人の在廊は13時から16時としていましたがたくさんのお客様とお会いしたいという希望もありますので後半の在廊日時を下記のように変更することにいたしました。どうぞご理解ください。

7/30(金)   15:00-1800
31(土)   15:00-19:00
8/ 1(日)   14:00-17:00

営業時間は全部在廊するといいのですが花井さんのお住まいが名古屋市内まで少し時間がかかりかつ交通事情があまりよくないことからかなわないのです。こちろもご理解いただければ嬉しいです。

みなさんにはこの展覧会は是非是非ご覧いただきたいのですが、まずは身の安全を第一にお出かけいただきたく思います。

ホントウを、得るための、ちいさな、するどい、傷ー花井正子展

林檎の輪郭がぼけている。

遠い記憶が時間とともに風化してきているということか?
記憶が鮮明によみがえって涙でぼけてしまっているのか?
それとも・・・?

そのいずれでもなく、そのいずれでもある。

林檎の向こうにある闇の中には、花井正子さんがよく描く遠い灯がやはりこの絵の中にも描かれている。少し安堵の気持ちが湧いてくる。灯は生きていくうえでの希望に他ならない。

そして右上のぼんやり浮かび上がっている四角は少し不穏ではあるのだが・・・。

林檎を描くー花井正子展

今日から書くブログは情報無く花井正子さんの作品を観たい方は読まないでください。私の言葉できっと見え方が変わると思います。手掛かりが欲しい方だけのために書こうと思います。

15年前に子供の頃の想いを込めて描いた林檎があまりに切なく見えたので、その絵にまつわるエピソードを聞きました。
事情があって花井さんのお母様は幼い子供を家に置いて働かなければならない時期がありました。帰りが遅いと寂しいしお腹もすきます。お母様は林檎を買い置いてくれてあってそれは食べてもいいことになっていました。花井さんが子供の頃は蜜柑より林檎のほうが安価でした。当時の林檎は真っ赤で小ぶりのものがほとんどでした。そんな林檎に思いを託した絵でした。

その絵を描いて数年後にお母様はこの世を去ったのですが、そうやって一生懸命育ててくれたお母様をたまたま一人で臨終を迎えさせることになってしまったのです。花井さんはそれをとても悔いていました。その悔いが辛そうなのを見て、作家はどんなことも絵を描くことでしか乗り越えられないということを信じている私は「林檎の絵を100枚描いてみない」と誘いました。花井さんは「そうする。そうしてみる。」と答えてくれました。

それから10年近くが経ちました。この個展の話があったとき「林檎の絵を描いてみようと思ってね」と。

10年の時間ではありましたが、花井さんは私に会うたびに林檎をくれました。それはあの約束忘れてないからね、というサインだったんです。

今日の作品「うたかたの夢 醒めて 消えて 忘れて 味わう コドモ (繰り返される夜)」は初めて林檎の作品を見せてくれた15年前の作品と私にとって一番印象が近い作品です。それは見た目ではなく私が受け取る感性としての印象です。

 

花井正子展ー「赤い実」MASACO HANAII

4年ぶりの花井正子さんの個展です。
この展覧会「赤い実」とは基本的に林檎を意味しています。

私が花井さんの林檎の絵を始めてみたのは15年ほど前の事でした。
個展ではなくグループ展だったので1点か2点あっただけでしたが、それは本当に切ない絵に見えました。あまりに切なかったのでここに何があるのだろうととてもきになったのを鮮明に覚えています。

彼女の子供の頃の切ない思い出を知ってずっとずっと今度は私自身の心に「赤い実」が棲み続けました。

この個展では花井正子の中に生き続けていた「赤い実」(林檎)を全て絵にしていただきました。

作家在廊予定
7月23,24,25,26日(木、金、土、日)31日(金)8月1,2日(土、日)
午後1時-4時

夏!暑い!楽しい!-最終日

「夏!暑い!楽しい!」は本日最終日です。
本格的な夏はもうそこまで来ています。せっかくの夏を楽しくお過ごしください。

次回のプリズムは7月23日(木)ー8月2日(日)、画家花井正子さんの個展「赤い実」です。(火曜休廊)
時の流れの中で自身の心の変化あるいは不変を絵にしました。久々の個展です。是非お出かけください。