直接の教えー御囲章木版画展

今回の御囲章木版画展で一番の大作です。
92×60㎝。
ネットではどの大きさの作品も同じ大きさの写真にしますので大きさの感覚が伝わらないと思いますが、目の前にすると本当に大きい。

この大きい作品を木版画として彫って刷るわけですから、どんな労力をもって制作したのかとそれだけでもぎょっとします。

そしてまたそこにある形がとんでもなく迫力がある。他の作品と同じ大きさの写真にしてもこの上のほうにある花の真ん中あたりから垂れ下がっているような丸っこい物体はすごい生命力で迫ってくる。

前回の個展の時も紹介したのですが、御囲さんは弱視です。しかも垂直の線が見えないという特殊な障害を持っています。
悔しいことに、この大迫力の作品の全容を彼は見ることができません。
こんな大きな作品、少し離れなければ全体像が見えない。それなのに離れてしまったら彼の視力では見えないのです。

見えなくてもこの迫力を作品にしたい。
この切なさ。

彼の特殊事情を多くの人が知る必要はありません。
だけど見る人が観ればその切なさは作品から透けて見えるのです。具体的なことは見えません。見えなくていい。むしろそれが見えてはいけない。

表現したいという切ない気持ちが大きければ大きいほど作品から放たれる生命力は強烈になるのかもしれない。

ひらめきの素ー御囲章木版画展

御囲章さんが「緑」を作品に使い始めたのは4,5年前からです。
植物由来のモチーフの作品なのになぜ「緑」を使わなかったのか?

「緑の使い方に自信が無かったんですよ」と。
まさかの緑コンプレックス。

「こうやって緑を使うようになった今も実はこの緑は緑のインクを使っているのではなくて、黄色と青を重ねて出ている緑なんです」とおっしゃいます。

もう1つ理由があるそうで、それは表現の重さとして「緑」がしっくりいかなかったのだと言います。こちらのほうがきっと大きな理由だったんだろうと思います。

御囲さんと同じ感覚を持っているわけではないのでこれについては頭での理解でしかありません。感性としてはもしかしたらずっとわからないのかもしれません。今の私にはわからないけれど、すぐにわかった人もいるはずで、それがそれぞれが持つ感性なのだと思います。

ではなぜ「緑」を使ったのか。
それまで「オレンジと黄色」「水色とピンク」で構成してきた色の世界をもう少し広げたかったからだそうです。色が広がれば世界観も変わる。

以後「緑」を使い続けているところをみると、心に収まるものがあったのでしょう。これからもきっと別の色が出てくるのだろうし、出てこなくなる色もあるに違いない。まだまだ進化し続ける御囲章さんです。

 

活きる糧が来た時ー御囲章木版画展

御囲章さんの作品を初めて目にしたのはもう5,6年前だったでしょうか。
「強いな」というのが正直な印象でした。

実は私には強すぎて作品と向き合うことができなかったんです。
向き合うまえに下向いてすごすごと引き下がったと言えば一番正確かな。

それ以来何度も個展を開いていただいているのになぜか対等に向き合えないでいました。これは作品の好き嫌いや完成度の問題ではなくて、私の心の強度の問題なのではないかと思う。

今回、搬入の日、今度こそ向き合える気がしました。

御囲さんにその旨お話しすると「こちらが少し丸くなったんじゃないですか?」とほほ笑んだ。その瞬間またすごすごと引き下がりそうになったのですが、今度こそ向き合うのだとこちらも強気になってみました。

「まああのころに比べると、色の強さも控えめになっていますし、慣れていただいたのではないでしょうか」ともおっしゃる。
確かに初めて作品に向き合ったころも「活きる糧が来た時」と同じ色合いの作品が何点もあって、そのオレンジと黒のせめぎ合いはもっと強烈だった。あのころに比べるとオレンジの分量が随分少なくなってその分白の割合が多くなっている。結果優しい感じがする・・・。

「優しい・・・」優しくはない。めらめらと燃える炎のような形は決して優しくはないし、そのなかで成長を続ける生命体のようなものは生きるために毒気すら放っているではないか。これを優しいとはとても言えない。

それでもなんだか向き合えるようになった。
慣れたのかなぁ。丸くなったのかなぁ。

まだまだ分かり合えないのだけど、だからこそまだまだ見続けなければならない。

warm&coolー最終日

「warm&cool」は本日最終日です。

次回は10月27日(木)から「御囲章木版画展」です。
超絶技巧の木版画から御囲の強く激しい生きる力をご覧ください。

おしゃれは楽しいーwarm&cool

今回も即売にしているので毎日展示を変えることになります。

搬入の日にコーディネートしたのが一番と思っていたのに、必要に応じて変えてみるとそれはそれでやっぱり素敵になる。コーディネートは無限大。

素敵なコーディネートができあがるともうすごく楽しくて気分もあがる。
おしゃれがやめられないのは納得だなとにんまりする。

明日が最終日だけど最後まで楽しい展覧会を作っていきます。

1枚の布への工夫ーmomiji

1枚のウールの布に丸い穴を開けて切ったところはウール綿をフェルト化させてほつれないようにする。

構造がシンプルだからどう纏うかいろんな工夫ができるのがおもしろい。

工夫ができる作品はプリズムのお客様には大人気です。
昨日紹介したよしださんのブローチの重ね付けとも通じる楽しさがここにもある。

重ね付けも素敵ですーよしだ律のブローチ

吉田さんのブローチは1つでも存在感がありますが、2つ重ねても素敵です。決してくどくなりません。彼女の感性の品位なんだと思います。

このブローチは素材が革なので金属や石を使ったもののように重さがそれほどありません。だから、momijiさんの薄手ウールのストールに付けても重さで布が垂れ下がることがありません。つまり服地を痛めることもないということです。
今回は秋冬物ですが夏のもっと薄い素材でも付けやすいのです。

重ね付けは感性の遊びが楽しめて嬉しい。プリズムのクリエイティブなお客様にはぴったりのデザインですね。

Gokiーwarm&cool

「cool」といえばGokiと言いたくなる。
そしてGokiこそ着てみなければわからない繊細なディテールにこだわったデザインです。

このセットアップはトロンとした生地で作られているのでハンガーにかけてあるだけでは美しさが多分全く伝わらない。体が入ると体に沿った美しさとブラウスの斜めに入った打ち合わせのギャザーが作るドレープがエレガントというしかない。

ブラウスは七分袖というより八分袖なのでこれからの季節長袖のカットソーを合わせるのがいい。ブラウスの袖から出る長袖の色に着る人のセンスが問われるけれど、それはそれで着る甲斐があるというもの。

コロナ禍でGokiのデザインも攻めたものが鳴りを潜めていましたが、久しぶりにらしいものを見せていただいた気がします。

momijiーwarm&cool

羊が人間の衣食住すべてを賄えるって知っていましたか。
遊牧民族は羊の毛や皮を衣とし、肉や乳を食とし、住も毛や皮で作るという生活をしています。

momijiさんはそのことを知り羊が大好きになりました。気が付けばビジュアルは何とも愛くるしくmomijiさんにとって羊はオールマイティな存在なのです。

羊の毛を紡いで糸にして織もしました。
今はフェルトが作品の主流ですが、「羊が好き」が作家活動にまでなってしまったのです。そこまで羊が好きな人に今まで出会ったことはありませんが、momijiさんの羊好きはとにかく筋金入りです。

かつては羊を自宅で飼うことまで考え、羊牧場にまで行ったそうですが、住まいの環境で牧場の人にNOを突き付けられらたこともあったとか。
自分で育てた羊の毛で作品が作れたら理想なんだそうですが、それはとうとう叶わなかったのですね。

大好きな羊の毛でフェルト作品を作り、それでみなさんが喜んでくださるのなら最高ですね。

蛇足ですが、momijiさん羊の料理も大好きで内臓ももちろん好きだということです。

よしだ律ーwarm&cool

革ブローチのよしだ律さんが作品を作り始めたのはほんの2,3年前のことです。

クラフト系の作家の場合そのジャンルの技術をある程度習得し作家としての引き出しをいくつも作ってからでないとデビューは難しい。よしださんの場合はその期間も短いしこのブローチに関しては先生について研鑽を積むという経験もありませんでした。

丸く切った革を組み合わせただけのブローチなのにそれはとてもチャーミングだった。研鑽を積むことは大切なことだけど彼女の中にあるとびきりの感性をしばらくしまっておくのはいかにも残念な気がしたので、グループ展に誘ってみたのです。以来どんどん作品を作り評判も良く今に至るのです。異素材を使ったりほかの形も試してみたりしていますが、丸だけの作品に勝るものはもう少し先のようです。

素材の研究や技術の習得は制作上必要になったときその都度研鑽を積んでもいいのかもしれません。そういう考え方は違うとおっしゃる方がいるのは重々承知の上ですが、年齢的なことも考慮に入れてこういう進み方もあってもいいのではないかと思っています。

いろいろな大きさの丸を組み合わせただけなのに無限に広がるよしだ律の世界は本当に美しい。
足りないこともたくさんあるかもしれませんが、今ここにあるブローチの魅力を知ってほしいと思います。