七福仮装行列ー水野加奈子日本画展

DMに使用した絵です。
七福神(毘沙門天・恵比寿・布袋尊・大黒天・福禄寿・弁財天・寿老人)に扮した動物たち。その動物たちもそれぞれめでたい存在です。

「engimono」
水野加奈子さんがこれぞ人々を幸せにしてくれるものを惜しげもなく振舞いました。病も戦も天災も一度にやってきたこの時代が早く穏やかになるようにと心から祈ってのことです。この世を司る何かに奉納するように今回の個展の作品を描き上げたのだと思います。

縁起物を飾る。
人の力の及ばぬ何かに祈る。
それが人の心の奥底にある根源的なものなのかもしれません。

蓬莱ー水野加奈子日本画展

かぐや姫で一躍有名になったのがこの蓬莱です。
絶対持ってこれないことを知ってて車持皇子に「蓬莱の玉の枝」を所望しました。本当にあるのかどうかわからないほどありがたくもめでたい「蓬莱」は東の海上にあり不老不死の薬を持つ仙人が棲むところと言われていて、めでたいもので埋め尽くされた地とされています。

調べればもっと具体的なめでたいものがあるようです。
が、まあ松竹梅に鶴亀が基本のようです。
そこに加奈子さんの大切な飼い猫黒猫の「墨(ぼく)ちゃん」も入れました。
黒猫は魔よけ厄除けの意味があります。

全体にトーンを落とした渋い色味ですが紅梅と鶴の頭の赤が上品に明るさを演出しています。小さいけれど細かいところまで丁寧に描きこまれていて好感の持てる作品です。

Ebisu&Daikokuー水野加奈子日本画展

恵比寿さんと大黒さんです。

最も古典的な日本画の題材です。
今どきの神様ならばサーフィンもするだろうしジェット機にも乗るだろうと、恵比寿さんは鯛でサーフィンを大黒さんはジェット噴射している米俵で空を飛ぶ。
神様たちは大好きな蛙や鼠に変身させて。

伝統的な日本画の技法で上質な岩絵の具を使って丁寧に描かれている絵。
古風な扇型の画面を古風な額に入れての展示です。
今回水野加奈子さんの使った額は多くがヴィンテージ(10年から100年前)のものです。蛙や妖怪が好きな水野さん、ややもするとぶっ飛びすぎそうなのですが額と技法が古典的(悪く言えば古臭い)なので絶妙なバランスになっています。

額と絵のバランスには特に神経を使うそうで、この個展の作品を制作するにあたり、額をいつも見えるところに置いてどういう絵にすれば絵も額も引き立つのかを考え続けたそうです。

「妖」を多くの人に受け入れてもらうには「怖い」を超える品位が必要なのかもしれません。

極小の絵もありますー水野加奈子日本画展

小さな絵の展覧会や猫展で大人気の極小の絵はこの個展でもやっぱり人気です。
こちらは会期中でもお持ち帰りいただいています。

手のひらに乗るサイズの絵たちは気軽に飾っていただけます。

どれももちろん「engimono」
小さいながらも縁起のいいものが描かれているので、どちらにも漏れなく良きことが付いてくるはずです。

不動明蛙ー水野加奈子日本画展

不動明王は、「お不動さん」と呼ばれ親しまれています。
優しさだけでは通用しない人々を救済するためにあえて憤怒の形相をして正しい道に戻してくれる存在なのだそうです。

その尊い存在を水野加奈子さんは大好きな蛙で描きました。
「不動明蛙」
蛙のお不動さんならより信頼がおけるというところでしょうか。

不動明王には、煩悩退散・厄除け・学業成就・身上安全・立身出世・商売繫盛・修行者守護・健康祈願・戦勝など様々なご利益があるとも言われています。いつも人として正しい道を歩めるようにという願いは必然的にこれらのご利益につながるというものです。ありがたい絵です。

星滲乾不翠雨之乞ー水野加奈子日本画展

「星滲乾不翠雨之乞」(ほしをとかしてかわずのはなにあめおちるよう)
難しいタイトルです。

水野加奈子さんの解説によると
桜の花が散るころ疫病が流行るのでそれを鎮める神事「花鎮めの祭」を蛙で描き始めたのですが、龍も入れたら雨ごいの絵になった。

瓢箪も龍も蛙も水と深い関係のあるものばかり。
そして水は人が生きていくうえで欠かせない大切なものです。人だけではなく生物にとってこれほど大切なものもない。そこに疫病を鎮める祭が入っているなんてまさに現代の縁起物。いえ、現代どころか永遠の縁起物と言えはしませんか。

眠り猫ー水野加奈子日本画展

「眠り猫」日光東照宮に左甚五郎が彫ったことでも有名な題材です。
猫がのんびり眠っているのは平和であることの象徴として彫られたという説もあるそうです。平和を祈ったのですね。

このところのウクライナの人々を思うと胸がつぶれそうだという方はたくさんいらっしゃいます。水野加奈子さんもその一人。早く平和が戻るように願いを込めてこの作品を描いたそうです。
猫は雀にとって天敵の1つですがその雀が眠っている、それもお腹を上にして眠っている猫のそばでのんびりひなたぼっこでもしているのでしょうか。猫がお腹を上にしているのも危険が全くないときにしかしないことです。つまり猫も雀も全く危険が無いという絵です。

縁起絵を現代に描くとすればこういう絵かなと思い描きました。

平和を祈る気持ちはいつの時代も変わることはありません。
こういう文化が戻ってきてもいいのではないでしょうか。

「metamorphoses」は本日最終日です。
変化する展覧会と紹介してきましたが皆さんに意図が伝わっておらず、反省ばかりの最終日になりました。

「Goki」展から「春の絵」展へ1か月かけて変貌する展覧会にしたつもりだったのです。ギャラリー空間を変化させていくという試みはあまり例がありません。SNSが発達している今だから発信し続けることでご理解いただこうという実験でもあります。


初日の様子です。

 


中日の様子です。

 


そして今日最終日はこのようになりました。

初日、Gokiの服の中に絵は1点でした。
次第に服も絵も増え中日あたりから服を減らし絵をそれまで以上に増やしていきました。最終日の今日は服は1セットあとは全部春の絵です。

今年は冬が長くGokiの作品が前半に揃わなかったのも趣旨が伝わらなかった理由の1つです。秋にもう一度リベンジするかどうかもう少し考えたいと思っています。

次回は3月31日(木)から4月10日(日)*火曜休、「水野加奈子日本画展ーengimono」です。是非お出かけください。

花待ちわびるーmetamorphoses

名古屋のように雪に閉ざされるわけでもない比較的温暖な地域でも春は待ち遠しい。

そして春だよりの一番は花。
花開くことは誰もが嬉しい。

春にふさわしい絵はどんなだろうといろいろ思いあぐねるけれど、やっぱり花の絵は外せない。春の花は優しい。待ちわびていた人々の心もほころばせる。描く人だって同じ気持ち。どの絵も喜びに満ちている。

遠くを見るようにーmetamorphoses

懐かしい作品がたくさん並んでいます。

30年以上かけて集めてきた作品はもうこの世界観を作家本人も描けないだろうな。もしかしたら、ほとんどそうなのかもしれません。

あの時心を満たしていた思いは少しずつ変わっていった。
いつしか随分遠くに来てしまったなというところだろうか。

それぞれの作家どころか見る側だって同じ気持ちでは見られない。

昔読んだ本を読み返すように絵を観るのもいいものです。

そういう意味でもmetamorphoses。