最後のページ―道の物語

これが「道の物語」最後のページです。
この絵本は表紙を含めて18点の絵で構成されています。
今日までに4点の絵を紹介しましたのであと14点あります。
全部はお見せできませんので、あとは会場か絵本でご覧ください。

「道」のシリーズはながおたくまさんが絶不調の時に誕生しました。
朝目が覚めると「また今日が始まってしまったな」というネガティブな気持ちの日々。それを絵にしたのです。展覧会に出しても芳しい反応も得られず、やっぱりこういう気持ちを絵にしてはだめだなと半ばお蔵入りさせたシリーズでした。ですが、ある時その数点をプリズムでの展覧会に再登場させたら意外なことに大評判となったのです。

誰にだってネガティブになる日はあります。
だから心の中から素直に表れたその気持ちは共感を得られたのだと思います。

ながおさんは絵本作家ですから、初登場の展覧会では子供が喜ぶほのぼのとした絵が求められたのだろうと思います。プリズムでの展覧会ではそういうお客様ばかりではなかったということです。

プリズムで評判を得てからはたびたびこのシリーズが登場しました。
当然ながおたくまさんの気持ちもネガティブな日ばかりではなく、ポジティブな日もあるわけです。書き溜められた絵は等身大の「ながおたくま」だった。

ポジティブな日もネガティブな日もあるのは「ながおたくま」さんだけではありません。あなただってあるでしょう。私にだってあります。ただその気持ちの引き金になったことには随分違いがあるのだからこの絵本には文章は付けませんでした。それはそれぞれの心の中でストーリーにしていただくのがいい。

猫は結局つかず離れずでずっと付いてきました。これからもずっと付いてくるかどうかはながおさんにもわからないそうです。

そうそう、初めに持っていた花束はながおさん的には「昨日までの辛かった自分、頑張った自分に、さよならありがとう」の気持ちだそうですが、みなさんは別のストーリーがあっていい。いやむしろあったほうがいいのではないでしょうか。

僕が主人公です―道の物語

「道の物語」の主人公は僕です。

僕は黒いコートとズボンと帽子に赤い鞄を持って旅します。
歩き旅です。

ここが出発点。

どこに行くのか?そもそも、僕は何者なのか?
まだ何もわからないけれど、とにかく「道の物語」は始まりました。
皆さんも一緒に旅してみてください。

 

倉中玲個展ー最終日

「倉中玲個展」は本日最終日です。
戯曲と絵画とで「跨越(かえつ)」と言うテーマを追うユニークな個展でした。
次は2年後の予定で制作を進めていきます。待っていてください。

次回は「道の物語ー絵本作家ながおたくま出版記念原画展」を5月16日(木)-26日(日)*火曜休廊です。5月18日(土)午後5時よりギャラリートークも開催します。(予約不要・無料)是非お出かけください。

蜂鳥ー倉中玲個展

「これだけはテーマより描いてみたいという気持ちの強さから描きました」とのことでした。

「蜂鳥」
倉中玲さんの言葉とは裏腹に「跨越(かえつ)」が見えてしまいそうなのはテーマに縛られているのだろうか。
鳥なのに虫(蜂)にしか見えない。以前見たことがある。ちょっと大き目な蜂にしか見えなかったのでこれしか名付けようがなかったことに強く同意した覚えがある。

鳥なのに蜂と認識された日もあったに違いない。
それは人間の勝手な不認識。

テーマにがんじがらめではない倉中玲も見てしまった。

風媒花ー倉中玲個展

葡萄の花のイメージです。
「葡萄畑の天使」でも天使が葡萄を降らせるシーンがあります。
ヨーロッパでは葡萄に豊かさを見ます。

葡萄の花が咲き、たくさん実れば、ワインがたくさんできる。

たくさんの花が咲けば人々は喜んだであろうことは想像できることです。

葡萄の花には花びらがない。そんな花知っていましたか?私は知らなかった。
そしてその花言葉はなんと「狂気」

豊かさをもたらすであろう花なのに「狂気」

「跨越(かえつ)」を試みようとすることは「狂気」なのだろうか?
確かに彼岸(相手)を全て理解することは不可能だけど、理解しようとすることは大事なことだと思う。完全に理解できると思うことは「狂気」なのかもしれないけれど、試みることは「狂気」ではない。そしてできるだけ彼岸(相手)を知ろうとすることは大事なことなんだと思う。

 

 

水辺の鶴、雪原の鶴ー倉中玲個展

倉中玲さんは「跨越(かえつ)」をデカルコマニーで表現しました。

子どもの頃誰もがやったことがあるのではないでしょうか。
紙に絵具をたっぷりつけてから真ん中で折り左右対称にぺったんと絵具を付ける技法です。簡単なのに思わぬ美しい画面ができるので夢中になって遊んだ経験、ありませんか。

倉中さんは折り目を付ける方法ではなく別の支持体にぺったんしたそれを作品を描く支持体にさらにぺったんと絵の具をつけました。左右対称ではなくほぼ同じ形と色になります。絵具の量は次第に少なくなるし完全に形を写したのかと言うとそう言い切ることはできません。

似てはいるけど完全ではない。

絵に取り込んで、一方は水辺一方は雪原に見立てる。

同じ色と形が目や心を通って別のものとして捉えられる。
なんなら水も雪もH2O。
このからくりはいったい・・・。

ちょっと違えばどんどん違ってきてしまうのに「跨越(かえつ)」は可能か否か。

鷺草ー倉中玲個展

この作品も「跨越(かえつ)」というテーマに沿った絵です。
少々重いテーマでもある今回の個展の作品群の中でテーマを除いても楽しめる絵だなと思います。

鷺草の向こうに飛ぶ鷺。
やはり「跨越(かえつ)」

夏の湿地に咲く可憐な花にテーマを見た倉中玲さんのしなやかな発想が素敵です。

 

跨越(かえつ)ー倉中玲個展

 

「跨越(かえつ)」DMにもなった作品です。

藤は美しい優雅な花です。
藤の名所がこの季節たくさんニュースなどでも紹介されていますから、実際に見に行かれた方も多いことと思います。

この藤は人の手が入って藤棚のようにコントロールされていると気づきにくいのですが、蔓植物なのでどこまでも伸びていきます。
山にある藤は他の植物に絡みつき寄生こそしませんが取り込んでいってしまいます。倉中玲さんはそこに「跨越(かえつ)」を見るそうです。

美しい花と取り込むという実態と。
「跨越(かえつ)」の一筋縄ではいかないものを見るような気さえします。
どこか禍々しさも感じます。

あちらとこちらを跨いで越していくことは「いい」とばかりは言えない。
ではあちらのことは関わらないでいるほうがいいのだろうか。

倉中さんは絵を描くことでこの問題に自分なりの答えを見つけようとしている。