今日も元気ー高北幸矢鉛筆画展

「花気配」と言うサブタイトルを付けながら、野菜も2点あります。

野菜の瑞々しさや生命力も魅力的です。
ある時魅力的な蕪に出合いました。それで描き上げたのがこの絵です。

もっと描こうと思って野菜を探したのだけれど、街で売られている野菜で魅力的なものを探すのは至難の業だった。輸送のために切りそろえられたり不自然にまっすぐだったり・・・。植物としての野性がそぎ落とされているのか、何だか個性的ではない。描きたい野菜に出会えなくて、撃沈。

野菜が描きたくないわけではないので、また素敵な野菜に出会ったら描くのだと思います。

人恋しくてー高北幸矢鉛筆画展

いろいろ描いてきましたが、やっぱり「椿」
高北幸矢といえば代名詞のように「椿」ということなんでしょうか。

みなさんそれぞれの思いで高北「椿」を観てくださっているので、もう何か書くこともないです。

咲く花は「椿」であろうが桜であろうがチューリップであろうが、人の思惑や思い入れと関係はない。自然は風景でも植物でもただそこにあるだけ。
そこに思いを寄せられる人の心はなんと豊なことでしょう。

それぞれの思いで観ていただけることに感謝です。

 

 

 

おさんぽおさんぽー高北幸矢鉛筆画展

「これって何種類の鉛筆で描いているのですか」という質問をよく受けます。
ほぼ2Bだけです。それも三菱uniだけ。Hi-uniではなくてuni。

画材って作家にとって相性だとはよく聞きますが、高北幸矢にとってもそこはとても重要なようです。
いろいろ使ってみたけどそこに落ち着いたのだそうです。

鉛筆ということで「削る」ことも重要。「削る」というより「研ぐ」というほうが言葉としてしっくりくるとか。

名古屋弁でいうところの「トッキントッキン」の鉛筆を何本も用意して「描く」というより「なぜる」ように描く。

そして、花の部分よりバックの線のほうがずっとずっと時間がかかっている。
描く人はそこを気にしてくださることもあるけれど、ほとんどの観る人はそんなことどうでもいい。観る人にそんなことを気にされるようでは、まだまだってことなのかもしれない。観る人は描く人の苦労なんて気遣う必要はないんですよ。観て楽しかったり嬉しかったり感動したりできれば、それでいい。

だけど、私はちょっとだけ暴露してみました(笑)

春風にのってー高北幸矢鉛筆画展

60歳で人生の大挫折を味わうことになる。それは突然のできごとだった。
同時期に人生初の美術館での個展のオファーを受けていたのが彼の運の強いところ。

古川美術館での個展での主役は「椿」でした。決めたときには挫折する前のことだった。それほど深い考えのもとで決めたわけではないだろうそのモチーフは結果的にその挫折から彼を救いその後の作家人生に大きな意味を持たせたのでした。

その時の展覧会はインスタレーションでした。
木を彫りだして作った「椿」はそのとき400個だったのだけど、それからいくつかの場所で展示するたびに作り続け、今では1000個になっています。
「椿」を掘り出しながら自分の中にある辛さを開放していく。
満願成就。

今ではそうやって辛さから解放された幸せを今では「椿」の絵に託す。
インスタレーションもこれからも続きます。今年は春に津島でありますのでご興味のある方は是非出かけください。

早春賦ー高北幸矢鉛筆画展

高北幸矢は長く美術大学に籍を置き教育にも携わってきました。
そういうことがこの展覧会にどう関りがあるのか。

作品を制作し続けることでしか教えられないことがある。
71回目の個展なのだから、そういうことなのだろう。

そして、物の本質を見極める目を育てることが芸大の教育の中で大切な位置を占めるとしたら、この鉛筆画は教育者としての姿勢でもあると思う。

この水仙は水仙の自然な姿ではない。でも間違った水仙でもない。作家の創造・心のありようから生まれた、多分自然界にはないであろう水仙。

大学で教えていたころはこんな絵は描いていなかったっけ。ポスター三昧だったね。

 

 

春はるばるー高北幸矢鉛筆画展

 

もう20年近くになりますが、在籍していた大学から地元に対するボランティアとして文芸誌の表紙を担当することになりました。

花を中心とした植物モチーフの木版画です。
このシリーズは表紙ですから優しく目に入ってくるきれいな色の作品です。
このシリーズが始まった頃からきれいな花、可愛い花を作品にすることに積極的になったように思います。

今日紹介する作品はこのシリーズの流れにある。
チューリップって春を代表する陽気な花です。そろそろ花屋さんの店先にも並んでいるかもしれません。
鉛筆だけでも十分華やかな絵です。

構図から見ると初期から制作しているグラフィック作品にも通じます。

いろんなことやってきた高北幸矢ですが、やっぱり一人の人間が紡いできた時間なのだと思います。

閑話休題ー高北幸矢鉛筆画展

今回の展覧会とは少し離れます。

昨年末高北幸矢は1冊の本を出版しました。
作品制作とは違いデザインでも街のデザインに関する提言のような内容です。
大学に長く席を置いていたこともあり公共のデザインに関わることも多く、今でも関わらせていただいています。そんな中での考えをまとめました。

田舎に生まれ育ち都会へのあこがれがこういう仕事になっていったのかもしれません。ヨーロッパの大都市を中心にフィールドワークを続けていった中からつかみ取った都市景観への考え。人が人らしく心地よく生活するためのに街創りでどうかかわっていったらいいのか。

ご興味のある方は是非お読みください。この会期中プリズムでお買い上げの皆さんには消費税分だけサービスをさせていただきます。

絵と何も関係ないのかというと、同じ人間のやることですから、根幹になるものは同じなんだと思います。とはいえ随分違う世界なような気もします。

兆しー高北幸矢鉛筆画展

30代40代頃、グラフィックデザイナーとして制作をすすめていました。そんな頃増殖体シリーズをグラフィック作品として発表をしていました。どちらかといえばアメーバや単細胞生物のような絵を描いていたっけ。その延長なのか、その後どんどん葉っぱモチーフが出てきました。この作品はそんな頃の作品を思い出されます。

今回花の絵がほとんどの中で花がなく葉っぱの生命力だけが際立つこの作品はある意味目を引きます。シリアス。
すべての修飾語を排除し、心だけを取り出したような表現。

高北幸矢、優しい花咲かじいさんだけではないのですよ。

青い炎ー高北幸矢鉛筆画展

何やってる人かわからない高北幸矢ではありますが、子供のころから花を描くのは好きだったらしい。

本人は「男のくせに女々しいやつだった」と言います。
確かに花を描くのが好きな男の子はちょっと変わっているかもしれません。
ましてや、生涯ずっと好きでいるのはあまりないことかもしれません。

いろんなことに興味を持つようにも思うけど、好きなことは長く続くほうともいえそうです。

ウチのベランダは120鉢が所狭しと並んでいます。
育てるのも好きなんです。
このアガパンサスの鉢はありませんが、ウチにいる花もいくつもモデルになっています。

「牧野富太郎みたいだね」とおっしゃるかたのいますが、何かのタイミングで植物学者の道もあったのかもしれません。

牧野富太郎は凄いデッサン力ですが、これは学者の目で描いています。高北幸矢の場合どこかデザイナーの目が入っているようです。この角度で花を観る。植物学者の目ではない。そうならその植物のあらゆる特徴を1枚に見せる視点をとらえるはずだから。そこには高北幸矢の情緒がこれでもかというほど詰まっている。

開けし朝ー高北幸矢鉛筆画展

「高北幸矢鉛筆画展」
当然鉛筆画の展覧会。鉛筆だけで描いた絵が58点並んでいる。

高北幸矢をずっと前から知っている人たちは何故鉛筆?と思っている人もいらっしゃると思う。だって高北幸矢は椿のインスタレーションする人でしょ?グラフィックデザイナーだったはず。版画家じゃないの?美術館で講演する人?

昨日ギャラリートークもありそのあたりのことも話題にのぼったのだけど、結局みなさんあんまりわからなかったのじゃないかなぁ。この人本当にやりたいことは何なんだろう。どこに行こうとしているんだろう。

私自身公私ともにパートナーなはずなのだけど、どうもよくわからないところもあるんです、実は。