銅版画ー鉱さん、またね

板倉鉱司さんが銅版画を始めたのはいつ頃だったのだろうか?
ご家族もよくわからないとおっしゃるところを見ると随分昔から制作していたのだろう。彫刻を始めたのとそう違わないのではないかということです。

彫刻自体かなり平面的な表現なので銅版画と大きな乖離が無いように見えます。

今日紹介する版画は残された作品の中では比較的古いのではないかと推測します。それは彫刻にも古いものに似た表現があることからの推察です。

版画も彫刻もほのぼのとしてどこか飄々とした作品ではありますが、鉱司さんの心の中には深いものがありました。ドイツ哲学への深い造詣が込められていることをたびたびお話しされていたことが思い出されます。

鉄の彫刻家になるー鉱さん、またね

板倉鉱司さんは20代半ばころに知人から彫刻家の掛井五郎さんを紹介されます。世界的な作家ですからご興味のある方は調べてみてください。

家業の鉄工所を手伝い始めたころでもあります。
掛井さんも鉄を使って作品を制作していたことから仕事場の鉄工所で掛井さんが制作するということになったのです。必然的に制作の手伝いをすることになりました。

どうやって鉄の彫刻を作るのかノウハウを知ることにもなりました。

自分でもやってみたいという気持ちがむくむくと湧き上がってきたのでしょう。それからは絵よりも彫刻の日々になりました。
板倉作品は掛井作品の影響を受けていることはとてもよくわかります。
掛井さんからは「君は彫刻を作るな」と言われたこともあったとか。鉱さんの才能に掛井さんも脅威だっかのかななんて思ってしまうエピソードです。

鉱さんは掛井さんをとても尊敬していました。師の背中をずっと追いかけていたのかもしれません。

絵を描いていたー鉱さん、またね

板倉鉱司さんは小さい時から体が弱かったので、ウチの中で絵を描いて過ごすことが楽しい時間だった。

大人になって家庭を持っても偏頭痛に悩まされる日が多く仕事も休みがちだったのだけど、休んだ日に体調が回復してくるとやっぱり絵を描いていたと板倉夫人は言いました。夫人が鉱さんに体調を気にしつつ勤務を終えて帰ると楽しそうに絵を描いていたことを今でも思い出すのだそうです。

30歳くらいまではよく絵を描いていて、個展まで開いたというからかなりのめり込んだことが伺えます。

この絵でもわかるようにオイルパステルが主な画材だったらしい。外国製のたくさん色数のあるオイルパステルのセットを大事に使っているのを夫人の朋子さんは記憶しているとか。

体調はなかなか上向きにならず体調に合わせて仕事ができるように親族と仕事を共にするようになったのです。その仕事が鉄工所だったことがその後の展開に大きくかかわってくることになるのでした。

 

林孝子雅羅素展ー最終日

「林孝子雅羅素展」は本日(7月6日)最終日です。
今年は時計と鏡。特異な発想は毎回驚きばかりです。
2026年もこの6月から7月にかけて孝子さんの個展を開催予定です。来年は何を見せてくださるのか楽しみに待っていてください。

次回は一昨年逝去された鉄の彫刻家板倉鉱司さんの遺作展です。
初期の水彩画から代表的な鉄の彫刻・銅版画、絶筆となったドローイングまでアトリエに残されていた作品を観ていただきます。

「鉱さん、またねー板倉鉱司/彫刻・銅版画・ドローイング遺作展」
2025年7月10日(木)-20日(日)*7月15日(火)休廊
正午ー午後7時(最終日は午後5時まで)
〒461-0001名古屋市東区泉1-14-23ホワイトメイツ1F

鏡に色模様を付けるー林孝子雅羅素展

昨日文字盤が鏡でできた時計を紹介しました。その鏡にサンドブラストで模様をつけたということを書きました。

で、この鏡です。緑の模様をどうつけたのかの話です。
サンドブラストで模様を彫った後そこに緑のラッカーで色付けしたのです。
鏡の表面はつるつるなので色付けはなかなか困難。サンドブラストをかけて表面をざらざらにしておけばラッカーがうまく乗ります。
この方法ってガラス作家の皆さんには一般的な方法なんでしょうか?色々調べてみてもそういう方法は出てきません。
孝子さんに聞いてみると、こうやったら色が入れられるんだろうなと思ってやってみました、と。やっぱり超オリジナルな技法でした。

この鏡は表ではなく裏面をブラストして色を入れてあります。

早々少し前にお生まれになった方には記憶にあるかとおもいますが、昔はお店などに開店した時に贈られたのか贈り主の企業名などが入った鏡がよくありました。そんな名入れもガラスの加工を生業にしていた林家の仕事の1つでもあったそうです。鏡が無地でないのは孝子さんにとっては当たり前のことだった。「鏡に絵があるのは見たことがない」と多くの方がおっしゃいますが、孝子さんにとっては逆なんだそうです。

発想の違いはそんなところにもあるのですね。

時計も鏡ー林孝子雅羅素展

この作品は時計の文字盤の部分が鏡です。
鏡の素材は昔は金属でしたし、今はアクリルなどの場合もありますが、おしなべてガラスです。ガラスですから雅羅素作家林孝子さんの制作の範疇です。

ガラス作家は熱加工かと私の浅い知識では思っていました。孝子さんも多く熱加工なのですが、もう1つサンドブラストという術がありました。細かい砂を高速で吹き付けてガラスの表面を削っていく技法です。*この技法はガラスだけのものではありません。

この作品もサンドブラストで模様を彫っています。ガラス作品と一口に言ってもいろいろな技法があるのですね。

 

コンソールテーブルー林孝子雅羅素展

玄関やソファの横などに置くテーブルをコンソールテーブルというのだそうです。おしゃれだし住まいの格がぐっと上がりそうですね。

天板は林孝子さんの作品ですし、骨組みも孝子デザインで特注で作ってもらった鉄製です。5年ほど前の作品だそうですがプリズムのショウウインドウにぴったりだったので飾っていただきました。

今回は出品作品の時計を置きましたが、植物や別のオブジェを置くのもきっと素敵です。

今回このコンソールテーブルをスペシャルプライスで出品していただきました。ブログにはお値段を出すことは控えますが、ご興味のある方は是非お申し出ください。(052-953-1839営業時間のみ)

アクセサリーー林孝子雅羅素展

アクセサリーは林孝子さんの定番作品です。
ブローチ・イヤリング・ピアス・帯留め

昨年の個展のブログでも書きましたが、アクセサリーを作るのはファンがいるという理由だけではないんです。孝子さんの作品作りのポリシーでもあるので今年も書きます。

孝子さんのおうちの家業は板ガラスの加工です。
企業としてのガラス加工ではたくさんの廃棄ガラスが出ます。
そもそも孝子さんが作品作りを始めたのは廃棄ガラスを自分の創作で蘇らせたいとの思いからでした。
作品を作っていても元々の廃棄ガラスより小さくはあるけれどやっぱり廃棄ガラスが出てしまう。
「廃棄」とても心苦しい。なんとかしたい。

思いついたのがアクセサリー。
それなら「廃棄」することなく大事なガラスを使い切ることができる。

素材を全部使いきることが素材に対する感謝の気持ち。

アクセサリーは感謝の気持ちのお裾分け。
だからお値段も感謝価格です。

小皿ー林孝子雅羅素展

今回の個展では鏡と時計がメインですが、林孝子さんの食器はいつも大人気なので食器ファンのために作ってくださいました。

茶系の透明ガラスに金で模様を付けています。
金が載せてある転写紙を好きな形に切って貼ってガラスに焼き付ける。
工程としては簡単に書くとそういうことですが、実はなかなか困難な工程なんです。どこがどう困難かはわかるように文章化できませんので、どうしても知りたい方はプリズムで孝子さんに直接聞いてみてください。

過去2回のプリズムでの個展で出品してくださった食器はポップな色のものが多かったのですが、今回はちょっとシックです。シックではあるけどどこか孝子さんらしい軽快さがありますね。

ちょうどお饅頭1つ乗せるのに調度いい大きさです。

想を刻む時計ー林孝子雅羅素展

林孝子さんは手と頭はいつも動いている人です。
自分の想いを刻み続ける人。だれにでもできることではありません。

時計のように規則正しくというわけではありません。ときには全速力で、ときにはのんびり寄り道をしながら。それでも休みはしません。

そうやって「想」を作品という形にして林孝子という人となりを確実に刻み続けた37年。

今日のトークでそんな林孝子時間に思いを馳せてみました。