加藤鉦次ーもう一度観てほしい、この1点。

“花シリーズ”よりの1枚
やはり風景作家でした。花を描きつつ“花のある風景”なのだと。描きたかったのは、花にまとわる空気だったと思います。
大作中心で小品はあまり手がけて来なかった作者が、プリズムでの個展数回を通してテーマが広がり、勉強になったとしみじみ申しておりました。そして制作中も会期中も悩みつつも楽しんでいた様子。プリズム作家皆様との交流も心なごむ時間でした。感謝!
(加藤素子=加藤鉦次夫人)

昨年10月に逝去された加藤鉦次さんの作品です。
プリズムにとってほんとうに大事な方を亡くしました。プリズムでは最後の展覧会になるかと思います。
鉦次さん、ありがとうございました。

倉中玲ーもう一度観てほしい、この1点。

「睡蓮」
2024年5月に開催した「倉中玲個展-跨越(かえつ)-」に出品した作品です。跨越(かえつ)は、異なる地点を架橋するという意味の言葉で、違いに対して寛容であること、そうすることの難しさなどが個展のテーマでした。この「睡蓮」は、うつつとまぼろしが混ざり合う様子を、水で薄くのばした絵の具を何層にも重ねるというグレーズ技法で描いたものです。
(倉中玲)

作品を写真にしてみると肉眼では見えなかったものが見えてくる。
ドレス姿の女性が見えてくるのは私だけだろうか?
この展覧会が終わると倉中玲さんの2回目の個展です。次はどこに行っているのか何をみせてくれるのか?

[言えない事]
技法      油性インクによる木版画
イメージサイズ  タテ450mm×ヨコ300 mm
作家名     御囲 章
制作年     2023年

コメント
生きていれば決して口には出せないことがあれやこれやとあるものである。自分自身の「秘部」や「恥部」、人間
同士の付き合いから起因する「秘密」や「不満」、変化する価値観や風潮にどうしても馴染めない「抑えこまなけれ
ばならない本音」と、次から次へと湧いてくる。そのモヤモヤを「タテマエ」で覆ってこそ世の中に居られるのだが、
どうしても漏れてしまうのが人である。ただし、「ニオワセ」る人は面倒臭い。
(御囲章)

植物で人を表現していると常々おっしゃっている御囲章さん。
なかなかに複雑に思えるがきっと本人にとってはごく自然なことなんだろう。
こう見なければとかああ見えなければという思いにとらわれないことがこの絵と仲良くなれる秘訣なのではないでしょうか。

サノエミコーもう一度観てほしい、この1点。

cochon ぶた
上目使いのこの愛らしさ。どうして伝わらないのでしょうか(笑)
ブローチにしても私の元へ帰ってきてしまう。
この機会にこの子の可愛さを再確認して頂きたいです
(サノエミコ)

さて、なんででしょうかねぇ。私も可愛いと思うのだけど・・・。
たまたまぶたさん好きなお客様が見に来てくださらなかっただけだとしか思えませんけど・・・。なんてこともあるんですよ。

鈴木喜家ーもう一度観てほしい、この1点。

干柿
私が若い頃、先輩の森緑翠さんに山形県上山特産の、「紅干柿」を送っていただいた。当時はワラに包まれたもの
だった。鮮やかな橙色で、表面に白い糖分が吹き、一つ一つ違った形のへたと軸がとてもおもしろく、かわいらしい
。もちろん食べると、きめ細やかな果肉に格別の甘さで、最高の干柿だ。冬の題材として好んで画きました。
(鈴木喜家)

味もビジュアルも記憶に残る素晴らしいものだったことは間違いないだろうけれど、送ってくださった先輩の心づくしが鈴木喜家さんの中にずっと生き続けていたのだろう。嬉しい記憶が絵になる。

 

hirokoーもう一度観てほしい、この1点。

『手の中に』
「石ころ」にまつわるエピソードをテーマにした個展の中の1枚です。
少女が両手の中に持っているのは、記憶のかけら。
いつもの道端で、ふと小さな花や草に目が留まったり、ちっぽけな石ころに気づいたとき、
「そういえば、あんなこともあったっけ」と、遠い日の自分を思い出す。
そしてその小さな思い出も、言葉にすると、人と人を繋いでくれる縁になる。
今日もいつかの自分をたどりながら描いています。
(hiroko)

hirokoさんの作品にはストーリーがある。ほぼ実体験を童話を書くように絵にしていく。だからこそのリアリティ。

水野清波ーもう一度観てほしい、この1点。

【慈 あたたかくいのちをまもる母のちから】
漢字や短い言葉には深い意味があり
「言霊」と言われ魂を宿します。
そして言葉を形にしたのが書。
そんな「ことのは」をテーマにした個展
【告白-ことのは】での作品です。
コピーライター岩田舞海さんの言葉
「あたたかくいのちをまもる母のちから」からイメージした、「慈」(茲は増やす、心は心臓の形の古代文字)を入れ
作品にしました。
(水野清波)

漢字には意味がありその意味に沿った感情を「書」にする。
文字に対する清波さんの真摯な姿勢が好ましい。

小山剛ーもう一度観てほしい、この1点。

「古い都の王」
1977年12月、愛知県美術館で17歳の時に見たピカソ展。
自由で力強いフォルムと色彩。エネルギーで満ち溢れた画面構成。
その衝撃は、その後の人生の進路を変えてしまった。
大学卒業後は、遠ざかったり、近づいたりもしながらも、ピカソから距離を取っていた
が、あれから約50年。
今なら自分なりの、キュビズムを応用した表現ができるのではないか?
そんな思いで描いた一枚が、「古い都の王」なのです。
(小山剛)

強く魅かれた作家がいることの幸せ。
先日「日美50年」で岡本太郎もピカソに魅かれピカソと格闘した日々を語っていたけれど、そういう作家がこれからも出現してくれるのはピカソもさぞや嬉しかろう。いや嬉しくはないのかも。

はまだのりこーもう一度観てほしい、この1点。

『ききみみ』
2024年春、個展『メロウな日々』に出品したイラストレーションです。
花や動物たちのことばが聞こえる、そんな耳があったらいいなと思っていました。
その耳はとても大きくて、小さな声も拾うことができるはず。
この大きな耳に聞こえてくることばは何だろうと思うととても楽しくなります。

はまだのりこさんがこういう可愛い絵が描けるのはそういう素敵な想像があるからなんだね。花や動物はどんなおしゃべりをしているのか、みんな知りたいよね。

馬場陽子-もう一度観てほしい、この1点。

「青の余白」
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作家の頭の中のファンタジーを外(作品)に出すのはたやすい。でもそれがきちんと思うように表現できたか、と問
われると難しい。頭の中の理想に向かってどんどん創り続けていく。そして楽しみながら創ることをあきらめずに「
そうそう、創りたかったのはこれだった!」という境地にたどり着いた作品は意外と少ないのかもしれない。これは
そんな、作品。
(馬場陽子)

作家の理想は作家にしかわからないのだけど、理想にたどり着いた幸せがこの中にあると知ると満ち足りた気持ちになる。