倉中玲個展ー最終日

「吹き寄せられた先で」倉中玲展、本日最終日です。(午後5時まで)
心象風景を描きだすことで閉塞感からの解放ができたなら作家も鑑賞者もそこからまた歩き出す勇気や元気を得たことと思います。3年後の個展に向けてすでに彼女の心は熟成を始めているようです。

次回は5月14日(木)から「来たことあるね」百瀬博絵画展です。5月16日(土)午後5時からアーティストトークも開催いたします。(予約不要・参加無料)是非お出かけください。

削るー倉中玲個展

倉中玲さんが昨年スコットランドで過ごしたことは先日書きましたが、それよりずっと前にモンゴルにいたこともありました。その地もスコットランドとは違うけれど風がありました。

風は大地を削ってそれを巻き上げる。
風土というくらいですから、風と土が文化・風習・価値観・生活様式を作る。

この絵はベースにある土や草は他の絵と違ってかなり意図的に描いてあります。制作の方法として倉中玲作品の未来を予感させてくれているのかもしれません。

無題その2ー倉中玲個展

倉中玲個展の作品はすべて平面作品なので「絵」と呼ぶのが一番ふさわしい。

ここ1週間ほぼ毎日倉中さんは在廊しているので、作品の話を来場者と話すのをそばで聞き時にはご本人から直接お聞きする日々を過ごしています。

「絵」なのだけど、言葉の端々に画材に対して色や画面のマチエール以外のことが出てくることに気づきます。
木炭は桑は柔らかいとか柳は硬い、筆は化粧筆でふわっと撫ぜるように色を刷く、・・・。

もちろん鑑賞者の目から入る情報である画面がどんな完成形になるのかが一番大切なのだろうけれど、自身が描いている過程で得る感触もかなり大事な要素なのではないかと思うようになりました。

今の段階では五感フル活用とは言えないのだけど、彼女の感性はまだまだ鋭く研ぎ澄まされそうな予感はする。「絵」と言う言葉では言い足りない日が来るのかもしれない。

White holeー倉中玲個展

ブラックホールはよく知られたことですがその真逆の性質を持っていると言われながら実在が証明されていない理論上の天体です。ブラックホールが何でも吸い込む天体ならホワイトホールは何でも放出する天体。

実在が証明されていなくても吸い込んだら放出するところがあるということはなんとなく腑に落ちて心はざわつかない。

もし吸い込まれたものが放出されるのなら落ち着けるけれど、放出されるのは別物だと言われたら一層落ち着かなくなるような気はするのだが。

こんなことすらヒトはまだ解らないのだ。

で、吸い込まれるものや放出されるものが宇宙物理学などという物々しいことではなく単純なヒトの精神性の問題だとしたら、生きやすくなるのか生きづらくなるのか。メビウスの輪に放り込まれた気分になる。

無題ー倉中玲個展

「水」
溜まってしまったというより湧き出てきてそこにあるというようにこの絵は見える。ただしこれは私の感覚で観る人によっては川や海から運ばれたとか雨が溜まったとかに見えてもどれも正解。

このような「水」が描かれている作品が何点か会場に並んでいる。
ただし溜まってよどんでいるというイメージはない。だってここには清らかな色で描かれているから。

美しい「水」は地層を通って濾過された汚れのない水。
つまりは何らかの圧力(気圧や重力)があってここにある「水」

風の力で吹き寄せられることと圧力で濾過されることは近からず遠からず。

結局生きているということはヒトトコロニ留まらないこと。
風があり雨が降り日を浴びれば変わっていく。何もいなかった星は清も邪も何でもありになった。

悪夢ー倉中玲個展

倉中玲さん本人が一番気に入っている作品「悪夢」

この絵に言葉は要らないだろうと言う。
何の屈託もない蛍光ピンクとエメラルドグリーンの色の上にのしかかるのか広がるのか黒い靄。これ以上不穏なことはない。

できればこんな「悪夢」に遭遇したくはないと思うのが人情。
だけど生きていれば大なり小なり遭遇してしまうのが「悪夢」
だとするならこれに立ち向かえる強靭な心が欲しい。

笑って過ごせるならそれに越したことはない、だろうか。
そんな雑把な心でいるのも豪胆を通り越しているような気もする。
それは無神経というものだ。

生ききるとは「強靭」と言うことなのかと思う。

「吹き寄せられた先で」ー倉中玲個展

言語化されなかった思考は、心の底に澱として沈んでいく。快い事柄は言葉になりやすい。
しかし苦や不快を帯びたものは、言語化のインセンティブを持たないまま、静かに堆積していく。
描くことは、その澱に言葉を与えることではなく、描く時間そのものが、澱が濾過される場として機能している。それは動的な行為ではなく、その過程のための静的な構造だ。
描く時間は、吹き寄せる風であり、その場でもある。
Thoughts that never became language sink to the bottom of the mind as
sediment. What is pleasant tends to find words. But what carries pain or
discomfort settles silently, without the incentive to be named.
Painting is not an attempt to give those sediments language. The time of
painting is itself the place where they are filtered — not a dynamic act, but a
static structure for the process to occur.
That time is the wind that gathers, and the place where it settles.
(倉中玲)

あまりに飛躍的な制作上の進歩に目がいきすぎてこの個展の本質を見失うことになってはいけない。

「吹き寄せられた先で」はこの個展のテーマである。
「抑圧」は上からの圧力をかけられているように思われがちだけど、この世で抑圧されるとは隅っこに吹き寄せられていくのに似ていると倉中玲さんはイメージする。

スコットランドの絶え間ない強風に吹かれていると、塵芥は吹き上げられ隅っこに押しやられてたまっていく。自分がその風の中に居ればすべての澱を吹き飛ばす清々しささえ感じる風だけど、実際には隅っこに塵芥の吹き溜まりを作る。
そんなふうに世の中には吹き溜まりに押しやられることがある。そのままではいられないならその風を自分の中でどうしていったら清々しさにまでなれるのか。

作品はあたかも風に吹き上げられる塵芥や澱のごとく会場の壁に展示しました。
時にひとところに吹き寄せられつつある塵のように。それでも風が少し静まってポツンと置き忘れられているように。

絵の内容とともに作品のレイアウトにも目を向けていただけると嬉しいです。

無力ー倉中玲個展

昨日投稿した作品から1週間後に描いた倉中玲作品、木炭・水彩絵の具・古墨・色鉛筆が画材です。

いわば偶然できた画材の痕跡から倉中さんの目を通して抽出した線がこの作品です。

この作品ができて今回の個展の制作の方向に確信が持てたそうです。

たった1週間でのこの完成度は驚異です。もちろんここからまだまだ手探りは続き、うまくいったりそうでなかったり。

タイトルは「無力」
今、世界は「無力」に覆われている。「無力」の先に大きな爆発力があると倉中さんは言います。これからの世界を思っての作品です。

第二章はここから始まったー倉中玲個展

初めての個展は2年前。
それは厳しいスタートになった。
並のメンタルだったらここから先には進めなかっただろう。

倉中玲本人が手探り状態でスタートさせたことは百も承知だったから観客からの厳しい言葉も受け止めることができたのだと思う。自身だって描き終えた作品に手ごたえがあるような無いような。だけど描いて観ていただかないことには始まらないものがあることだけはわかっていたからの個展だった。

2年前、初個展を終えたばかりの頃から木炭の粉を画材に使うことに興味を持ち試作を始めてみるとこれがその時の自分には必要な画材だと確信する。

倉中さんには本業がある。仕事で昨年数か月スコットランドで過ごした。
その地は風の強いところだった。雨が何かを洗い流すように、彼女には強い風がたくさんの物を吹き飛ばしてくれるという感覚を持った。自分の中の澱のようなものも吹き飛ばしてくれ清々しさまで感じる。この感覚を絵にしてみたいと思う。

スコットランドのヒースの丘は美しい。
エリカの花が咲く丘は強い風が吹いて小さな塵を吹き上げるが、だから清らかで美しいと思う倉中玲の心を描いてみた。
木炭の粉はヒースの丘に吹き上げられた塵を表現するのに使われた。

これは2度目の個展の1作目となった。
覚えておいて欲しい、これは1作目。彼女の進化は凄まじい。
強靭な精神力と好奇心はどこまで進撃していくのか。

もう一度観てほしい、この1点。ー最終日

「もう一度観てほしい、この1点。」本日最終日です。(午後5時まで)
ある意味エキセントリックなコンセプトの展覧会でした。それだけに見応え十分だったと自負しています。

次回は4月30日(木)より「吹き寄せられた先で」(倉中玲個展)です。
5月2日午後1時30分よりアーティストトークも開催いたします。(予約不要・入場無料)是非お出かけください。