「吹き寄せられた先で」ー倉中玲個展

言語化されなかった思考は、心の底に澱として沈んでいく。快い事柄は言葉になりやすい。
しかし苦や不快を帯びたものは、言語化のインセンティブを持たないまま、静かに堆積していく。
描くことは、その澱に言葉を与えることではなく、描く時間そのものが、澱が濾過される場として機能している。それは動的な行為ではなく、その過程のための静的な構造だ。
描く時間は、吹き寄せる風であり、その場でもある。
Thoughts that never became language sink to the bottom of the mind as
sediment. What is pleasant tends to find words. But what carries pain or
discomfort settles silently, without the incentive to be named.
Painting is not an attempt to give those sediments language. The time of
painting is itself the place where they are filtered — not a dynamic act, but a
static structure for the process to occur.
That time is the wind that gathers, and the place where it settles.
(倉中玲)

あまりに飛躍的な制作上の進歩に目がいきすぎてこの個展の本質を見失うことになってはいけない。

「吹き寄せられた先で」はこの個展のテーマである。
「抑圧」は上からの圧力をかけられているように思われがちだけど、この世で抑圧されるとは隅っこに吹き寄せられていくのに似ていると倉中玲さんはイメージする。

スコットランドの絶え間ない強風に吹かれていると、塵芥は吹き上げられ隅っこに押しやられてたまっていく。自分がその風の中に居ればすべての澱を吹き飛ばす清々しささえ感じる風だけど、実際には隅っこに塵芥の吹き溜まりを作る。
そんなふうに世の中には吹き溜まりに押しやられることがある。そのままではいられないならその風を自分の中でどうしていったら清々しさにまでなれるのか。

作品はあたかも風に吹き上げられる塵芥や澱のごとく会場の壁に展示しました。
時にひとところに吹き寄せられつつある塵のように。それでも風が少し静まってポツンと置き忘れられているように。

絵の内容とともに作品のレイアウトにも目を向けていただけると嬉しいです。

無力ー倉中玲個展

昨日投稿した作品から1週間後に描いた倉中玲作品、木炭・水彩絵の具・古墨・色鉛筆が画材です。

いわば偶然できた画材の痕跡から倉中さんの目を通して抽出した線がこの作品です。

この作品ができて今回の個展の制作の方向に確信が持てたそうです。

たった1週間でのこの完成度は驚異です。もちろんここからまだまだ手探りは続き、うまくいったりそうでなかったり。

タイトルは「無力」
今、世界は「無力」に覆われている。「無力」の先に大きな爆発力があると倉中さんは言います。これからの世界を思っての作品です。

第二章はここから始まったー倉中玲個展

初めての個展は2年前。
それは厳しいスタートになった。
並のメンタルだったらここから先には進めなかっただろう。

倉中玲本人が手探り状態でスタートさせたことは百も承知だったから観客からの厳しい言葉も受け止めることができたのだと思う。自身だって描き終えた作品に手ごたえがあるような無いような。だけど描いて観ていただかないことには始まらないものがあることだけはわかっていたからの個展だった。

2年前、初個展を終えたばかりの頃から木炭の粉を画材に使うことに興味を持ち試作を始めてみるとこれがその時の自分には必要な画材だと確信する。

倉中さんには本業がある。仕事で昨年数か月スコットランドで過ごした。
その地は風の強いところだった。雨が何かを洗い流すように、彼女には強い風がたくさんの物を吹き飛ばしてくれるという感覚を持った。自分の中の澱のようなものも吹き飛ばしてくれ清々しさまで感じる。この感覚を絵にしてみたいと思う。

スコットランドのヒースの丘は美しい。
エリカの花が咲く丘は強い風が吹いて小さな塵を吹き上げるが、だから清らかで美しいと思う倉中玲の心を描いてみた。
木炭の粉はヒースの丘に吹き上げられた塵を表現するのに使われた。

これは2度目の個展の1作目となった。
覚えておいて欲しい、これは1作目。彼女の進化は凄まじい。
強靭な精神力と好奇心はどこまで進撃していくのか。

もう一度観てほしい、この1点。ー最終日

「もう一度観てほしい、この1点。」本日最終日です。(午後5時まで)
ある意味エキセントリックなコンセプトの展覧会でした。それだけに見応え十分だったと自負しています。

次回は4月30日(木)より「吹き寄せられた先で」(倉中玲個展)です。
5月2日午後1時30分よりアーティストトークも開催いたします。(予約不要・入場無料)是非お出かけください。

林孝子ーもう一度観てほしい、この1点。

放下着
(ほうげじやく)
自分にこだわらない心
ありのままに映る自分が大切
気持を伝える
歳重ね劣える^_^顔を正視するのは少し悲しい‼️
模様があっても映る顔‼️
如何でしようか⁉️
(林孝子)

放下着、仏教用語でしょうか。
ありのままではあるれど好きな自分が写る鏡を作るなんて年の功なのかな。やりますね。

これで27人全員の紹介が終わりました。
明日4月26日が最終日です。

水野加奈子ーもう一度観てほしい、この1点。

「虎鐘馗」
まだコロナ禍の影響が色濃く残る時期の、個展に出品した作品です。
コロナ禍をきっかけに、厄除け厄払いの縁起物モチーフを描くようになりました。
こちらは、魔よけの効験があるとされる鐘馗です。
日本では端午の節句に絵や人形を奉納する地域もあります。
また端午の節句では、子どもの健康を祈って虎の張子を縁起物として飾ります。
この鐘馗と虎を合わせた「虎鐘馗」を描きました。
赤い蝙蝠は、中国では鐘馗と共に描かれることが多く、遍(蝙)く福(蝠)が来るという、吉祥の掛けことばから縁起物でもあります。
(水野加奈子)
加奈子さんの武者絵はキレがある。
それはきっと加奈子さん自身が一番かっこいいと思うところを迷いなく描き切っているからだと思う。

加藤茂外次ーもう一度観てほしい、この1点。

「オルレアンのJD」
「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」に思い入れがあり、シャンティイ城を2度訪ねたことがある。革命で壊されたこの城の再建をしたのがオルレアン家のオマール公である。そんな経緯でロワール川沿いの城を巡ったときシュノンソー城にオルレアン公の肖像画を見つけたときは妙にうれしかった覚えがある。旅の起点となったオルレアンの街の中央に立つのが15世紀にオルレアンを解放したジャンヌダルクの騎馬像である。ここを描くにはやはりJDかと・・・
(加藤茂外次)

ジャンヌダルクに憧れない女子はきっと少ない。
それほどかっこよく素敵な少女はやっぱり男子にも人気だったんだ。いいね。

百瀬博ーもう一度観てほしい、この1点。

「一人の私の一日の時間」
一人になった私に、どこからか声が聞こえてくる気がします。暗い道で私が迷わぬようにこんな声が。「私はここにいますよ。大丈夫よ。」素朴な天使たちの柔らかな声と共に。
(百瀬博)

天使に守られていると感じたのはもう10年ほど前になるのだろうか。天使がいてくれる間はそれを描き続けますとおっしゃっていますが、5月14日からの個展にも天使はいます。守られているとはどういうことなのかプリズムも探っていきたいと思います。

佐々木悟郎ーもう一度観てほしい、この1点。

大分前のことなので記憶が不確かですが、確かハリウッドブルバードの裏道に駐車してふと見つけた風景だったと思います。薄いピンクの壁にパームツリーの影が落ちていていかにもLAらしい光景だなと思ったのを思い出します。
(佐々木悟郎)

30年以上前の佐々木悟郎さんの作品です。
5月28日(木)からプリズムにて悟郎さんの最新作の個展があります。
時を経て変わったところ変わらないところを見つけるのも個展の楽しみ方かもしれません。