1981年からGokiの加藤裕之さんはYohjiYamamotoに入社します。
そろそろバブルが始まろうかという頃です。
ヨージさんは世界のファッション界での寵児となっていました。
加藤さんはパタンナーとして修業が始まりました。
パタンナーという仕事はファッションデザイナーの出したアイデアスケッチを実際の服に仕立てるための型紙を作る仕事です。優秀なパタンナーがいなければどんないいデザインも実現することができないということでもあります。
加藤さんはこの時ヨージさんのデザインの真髄を叩きこまれたことと思います。
ボディコンシャスがメジャーだったこの時代体に沿わせないで美しいシルエットを作ることや構築的な形を服にしていくのがヨージスタイル。学校で学んだ基礎は当然のこと、その上にそれを覆す新しい美しさを追求していく最前線であるYohjiYamomotoのメゾンはファッションの虫であった加藤さんにとって刺激的で夢のような世界であり幸せな地獄であったのではないでしょうか。
世界中を飛び回っていた山本耀司氏は東京の会社にいることはほとんどなく、加藤さん自身そう何度も会う機会はなかったとおっしゃっていました。それでもヨージデザインの中にどっぷり浸かっている時間だった。
しかしそんな時間は永遠ではなかった。
1987年加藤さんは体に不調を抱えヨージを去らなければならなくなったのです。
失意はどれほどのものであったか想像するのもつらいことです。
名古屋に戻るしかなかった。