イスラエル・ガルバンー唐津絵理の力

コンテンポラリーフラメンコの「イスラエル・ガルバン」の公演が終わって10日が過ぎてしまった。

本来フラメンコは歌「カンテ」が中心で踊りやギターは無くてもいいのだそうだ。しかし、すでにその本来あるべき歌すらもこの公演では無い。ギターではなくピアノとのコラボレーション。

ダンスに限らず「コンテンポラリー」という言葉に強く反応してしまう。
なぜか?
「コンテンポラリー」とは、現代的という意味だけど、今まであった形を壊して新たな形を生み出すということにほかならない。「イスラエル・ガルバン」だって、歌すらないのだからこれがフラメンコなのかという問題にまで到達しそうなものだ。
従来ある姿を継承していくことだって相当なエネルギーを必要とするのにさらにたくさんのバッシングを受けることを覚悟しての表現者に「コンテンポラリー」という言葉が与えられるのだと思う。さらにさらにの強靭な肉体・技術・精神力が観られるということに興奮しないわけがない。

今回の主題ストラビンスキーの「春の祭典」はロシア革命を逃れてパリにやってきたロシアバレー団の演目。不協和音を用いるなど、当時の「コンテンポラリー」としての話題には事欠かない。
それが「コンテンポラリーフラメンコ」となったのだからたまらない。

「イスラエル・ガルバン」はフラメンコダンサーだけど、自身が楽器そのものでもあった。ステップはパーカッションのスティックのようでもあった。ステップの踏み方はフラメンコだけど、フラメンコと意識することの無意味さ。ジャンル分けなど必要のない世界観。

とにかく90分近く激しくステップを踏み続けるのに息が上がっている様子はない。足に巻かれていたサポーターは痛々しかったが、動きに狂いは無かった。

最後「ブラボー」の掛け声は禁止されていたけれど、鳴りやまぬ拍手とスタンディングオベーション。誰もが興奮していた。

この時期に海外からの演者を連れてきたのは愛知県芸術劇場エグゼクティブプロデューサーの唐津絵理さん。ガルバンと組んでいたピアニストは連れてこれなかったものの、彼女の力なくしてはこの公演を観ることはできなかった。横浜・名古屋の公演では総合プロデゥーサー唐津絵理。今回はひと際困難を極めたことでしょう。席数を半分にしての公演。ダンサーを招聘するだけではないはず。下世話ではありますが、お金のことだって考えないわけにはいかない。悔しい思いもしたに違いない。

私自身、そもそも彼女の存在無くしてはここまでコンテンポラリーダンスに傾倒することはなかったと思う。彼女を知ったのは20年ほど前にプリズムの作家を紹介したことに始まる。彼が衣装デザインに関わったことからその公演を観、チャンスがあればと、自分の仕事時間とバッティングしなければ行く。ほとんどバッティングしてしまうのでそう多くは無かったけれど。行けばいつも「いいもの見た!」と思ったものです。
親しくお話することは無いけれど、彼女がかかわるダンスパフォーマンスはどれも気になる。公演前の発信をsnsでキャッチするくらいだけど、どれも魅力的。

ダンスは実際に観ることが大切。世界中を飛び回っていることも伝わってきます。そうやっていいものを愛知に引っ張ってきている。まさに唐津さんは愛知の宝です。唐津さんは愛知県の県職員です。(多分現在も)

ガルバンの公演を終えた今彼女は次の海外アーティストを迎えているようです。こんな時期だからこそ、上質な公演が観たい、観ていただきたい。
私自身は8月のこの公演を観ることができないスケジュール。ちょっと残念ではある。しかし、唐津さんがまたいいダンサーを招聘してくれることを楽しみにします。

 

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