「焼夷弾が落ちる中水槽の金魚が美しかった」という思い出が田名網敬一さんの作品には反映されているというエピソードがある。この話は私の中で特別なものとして残っている。人は時としてその状況とはかけ離れたその人だけが持つ強烈な感受性を発揮することがあるのだということ。
今回の出品者は全員戦争体験者である。
このことの影響が全くないという作家はおそらくいないのではないだろうか焼夷弾が落とされる中を逃げまどったり、今日の空腹を満たす術も持たなかったり。つまり生命の維持さえままならなかったという体験なのか、あるいは貧しくとも生命の危機にはなかったのか。それぞれの状況は違っていたのだろうけれど、みなその時代に生きた人々なのだ。
私にはその体験がないので確信がつかめないのだけど、とても気になる。
この展覧会を観に来てくださった方々と時代背景などの話をしていて、この5人の作家は確実に歴史の中にいた人々なのだと思う。それは古臭いという意味ではない。戦争はもちろんいけないことだけれど、これらの作品から教訓めいたことをくみ取ろうというのでもない。
あの日のあの時の感受性はずっときっと作品の中に生き続けていて、それはもしかしたら作者でも気づかないのかもしれないけれど。
もしかしたらこれはその欠片なのかもしれないと思うと、胸に迫るものがある。