
プリズムにGoki(加藤裕之)さんの作品を運び込む前にGokiさんに「車椅子のことはみなさんにつたえていいのかどうか」1度だけ聞きました。答えはNO。それからGokiさんが現役で仕事をしている間は公にそのことを伝えることは全くしませんでした。そのハンディを逆の武器にしたくはないのだとわかったからです。
この世にもういないGokiさんだけど、そのデザインは彼の境遇が悔しくて一緒に彼のデザインを世に出そうと奮闘努力した松岡哲史さんなくして実現できなかったはず。この物語もGokiデザインとともに伝えたかった。モノに宿った魂の叫びがあるはずだから。それにはGokiさんが背負っていた境遇も公にしないわけにはいきません。松岡さんに相談するとOKが出ました。
松岡さんは飄々とした人です。現実の無理難題は当然のこと、Gokiさんが抱えていた精神的な負担も全部背負ったはずです。個展が決まるとGokiさんはできる範囲内で最大限の「美」を追求しました。頭脳はGokiさんだけど動くのは松岡さん。Goki社はまだ立ち上げて2,3年目。今思うと私も若気の至りで松岡さんの負担のことなど考えの外でした。
個展会場はYhoji Yamamotoの店舗内のよう。Yhojiさんを追いかけていたGokiさんがまだ30代で追いかけるだけで精一杯だったんだと思います。あんな展示助っ人がいたとはいえよく1日でやったなと今も思います。
当時Goki社のスタッフはGokiさん松岡さんを入れても3,4人だったと思います。今だって5,6人です。まだ立ち上げたばかりの会社だから顧客から連絡があればすぐにでも駆けつけなければいけない。とても会期中誰かが会場にいるなんてとても厳しい。結局Goki展は1年で辞めることになりましたが、今回のような展覧会には協力は惜しまないと言っていただき30年もお付き合いいただいています。
私の中では簡素ではあるけれど手作りのファッションショーが個展の中でいつか開けるようにいろいろ画策していましたがとうとう叶いませんでした。
この絵はGokiさんの似顔絵です。松岡さんが描きました。よく似ている。ね、Yhojiさんみたいでしょ。2年ほど前にカットソーにプリントして売り出しました。松岡さんもモード学園でファッションを学んだ人です。卒業後はアパレルメーカーの営業で経営手腕を磨いてきたのでGoki社を立ち上げ運営できたのですね。
「もうワシあかんわ」って何度も松岡さんの口からでましたが、そっからが松岡さんの強さが発揮されます。
短い冬に職人さんの後継者不足に、泣きたい日々のはずですが、松岡さんは負けない、これからもずっと。
