2023年9月に板倉鉱司さんの最後の個展がプリズムでありました。
その前の年の秋余命宣告を受けていました。6月がリミットと言う厳しい宣告でしたが、「そんな気がせんじゃんねぇ」と明るく話してくれていたのでその言葉のノリで「9月に個展やってね」とお願いしました。「いいよ」と明るく返してくれたもののこれは果たせないのかもしれないなと言葉とは裏腹な気持ちでいました。
余命宣告は何だったのだろうと思うほど元気で(そうでない日もあったに違いないのだけど)たまにギャラリーにも顔を出してくださっていました。暑い夏の間も9月に向けて制作を続けてくださいました。
その個展の搬入を終えるといつもなら何度となく在廊してくださるのですが、とうとう最後の日にやっと顔を出してくださいました。少し体力を落としていらっしゃるご様子でした。
その日「やり切った」とおっしゃったそうです。
この個展のどの日にか「聖書には無駄な言葉が無かったってわかったよ」と鉱さんはおっしゃいました。3日前のブログに鉱さんが「神様なんているかどうかわからない。」とおっしゃっていたその答えだったんだと思います。
個展から1か月、鉱さんは神様のもとに旅立たれました。
鉱さんの希望をご家族が受け止めて、最後の日までおうちで過ごされました。
ある日訪問看護の方に「時間を持て余す」と伝えると「好きなことしてていいんだよ」と言われて絵を描き始めました。旅立つ10日前の事でした。庭のオリーブの枝を毎日一枝ずつ描きました。3日前までちょうど7点描いたところで体力が持たなくなりました。
ただ描きたいものを素直に描く。作家として板倉鉱司らしくなど何も考えずに美しいと思ったものを感動を持って描く。
「オリーブの枝と葉っぱの繫ぎ目がこんなにきれい病気で知った」の言葉も残っされていました。
蛇足ですが、意図せず作品は十字に展示しました。
後で指摘されびっくりしたのですが、これは鉱さんが天からのご指示だったのだと思います。
最後の絵を描いた次の日「聖餐式」を受けました。神様のもとに旅立つ覚悟を持って。
制作と信仰の鉱さんでした。