草叢と言う言葉があるけれど、小さな花が咲き乱れるところを「花群(はなむら)」と言ってもいいのだろうか。
そういう場所に中心はない。
現実に目にする風景には実は中心になる部分がないことがほとんどのはず。
それなのに絵にするときには一番目が行く場所を作ろうとします。
言いたいこと見せたいところはそこに目が行くように描く工夫をするのは画家の常套手段だし、それは間違ってはいない。
中心を作らないことは間違っているのだろうか。
画家の心は画家の数だけ違っている。ずっとずっと同じ花が咲いているさまが美しいと小平治さんが思いそれを伝えたいと思ったのならそれは小平治さんの正解なのだ。