私は「光の道」と言われるものにとても魅かれます。
最近は福岡の神社のことをさすことが多いようですが、それではなく日の出か日の入りに見られる陽光、あるいは水に映る月の光。
日本では見渡す限り広大な大地というものがあまり無いので海に登る日や沈む日の煌めきにそれを見ることが多い。海なら月も「光の道」として見ることができる。
月の「光の道」にはたくさんのものが見えないだけに青白く水面に写る光は凄惨ささえ感じられる。
風景というのは不思議だ。それには意志も意図もない。それでも人はそれに感動する。月はただそこにあり、たまたまあった水に道のように写っているだけ。それなのにそこに何か意味を見つけようとしてみたりするし、力をもらったりする。
ただそこにあった「月光」を観客が自由に観ることを思い、だけど隠しきれない思いが透けて見える花井正子の「月光」がここのある。