「菫色の着物があった!」
それがこのスタイリングの決め手。
この菫色はもう今では出ない色。
昔は使えたけど今はもう使えない染料もあるんです。
そしてそういう色にこの着物のように深くて美しい色があります。
版画のバックの色にぴったりの黄色の帯もあった。
肩にかけたアクセサリーが石川真海さんらしい。
そうそう水野清波さんの書の色、見えますか?
淡い紫色。
「紫墨(しぼく)」っていうんですって。
いいコーナーになっています。
WHITE MATES bldg.1F 1-14-23Izumi Higashi-ku Nagoya Japan Phone052-953-1839
「菫色の着物があった!」
それがこのスタイリングの決め手。
この菫色はもう今では出ない色。
昔は使えたけど今はもう使えない染料もあるんです。
そしてそういう色にこの着物のように深くて美しい色があります。
版画のバックの色にぴったりの黄色の帯もあった。
肩にかけたアクセサリーが石川真海さんらしい。
そうそう水野清波さんの書の色、見えますか?
淡い紫色。
「紫墨(しぼく)」っていうんですって。
いいコーナーになっています。
「鬼百合舞う」と言うタイトルのエッセイをもとにスタイリングしました。
全作品トルソーに着せると少々会場が手狭になるため4パターンは写真での展示になりました。石川真海さんの夫君でありプロのフォトグラファーダンデー浅野さんに写真は担当していただきました。この写真のみモデルはお二人のお嬢様浅野菜日さんです。
エッセイもさることながら、そもそも鬼百合って名前が怖い。
この写真ではモデルの菜日さんが怖さを表現してくださいました。
トルソーでは出ない表現が写真ではできる。クリエイティブなファミリーです。
本日11月15日は「着物の日」です。
「ぴんぽんまむ展」をこの時期に開催するのはこの日に因んでです。
今年も開催できたことを感謝です。
今日紹介するのは秋の装い。
これだけ農業技術が発達していると、世の中に出回っている花や果物が近頃では本来の季節はいつだったのかわからなくなっていることが多い。それなのに柿だけはこの季節にしか収穫することができません。
季節感を大切にする着物の世界です。だれもがわかる季節の装いです。
石川真海さんのスタイリングもお楽しみいただいていますが、ヴィンテージ着物も多数用意しています。今回もお着物や帯をお買い上げくださったみなさんにはお買い上げいただいたものをその場で着付けのサービスもしています。
*肌着や小物・履物はご用意ください。
*後日の着付けはお受けできません。
「小山剛アクリル画展」本日最終日です。
プリズムでは初めての個展でしたがお楽しみいただけたことと思います。
2026年春に次の個展を予定しています。待っていてください。
次回は11月4日(木)からきものスタイリスト石川真海さんの4回目の個展です。
今年は少し趣向を変えての展示になります。是非お出かけください。
人物画がかなり大きな位置を占める小山剛さんの世界ですが、この人物は少し異色な感じがします。厚塗りをしていないこともありますが、なによりも人物が真正面を向いていない。
「修羅の春」
修羅は激しい感情の表れ。私たちは「阿修羅像」で知ることが多いのであの厳しい顔を思い浮かべるかもしれません。
小山さんは宮沢賢治の「春と修羅」という詩に着想を得て描いたそうです。
わたしはとある美術館で観たドラクロアの絵を思い起こしました。
この絵にしても阿修羅像にしてもドラクロアの絵にしても、若者のピュアな感情の表れが見えます。長く生きていると人は丸くなると言いますが、丸くなったのは心の中から飛び出したばかりの新鮮で強い感情が人と人の間で揉まれて新鮮さも失いかけるということでもあります。あんなピュアな表情をかつて自分も持っていたのだろうか。そうだったらいいな。それはそれで苦しい時間でもあったはずだけど。
名古屋の方にはよく知られていますし、前回の朝ドラでもたびたび登場した鶴舞公園の奏楽堂です。明治43年に建てられましたが昭和9年の室戸台風で崩壊し平成7年に復元された名建築の1つです。
よく知られた場所ですが何だか違和感がありませんか?
周りの木々を描きませんでした。
小山剛さんは今回の風景画を白昼夢のようにしたかったので他の建物も、以前紹介した豊橋の名建築「公会堂」も周りの木や建物を排除したのです。気配の手掛かりを消す。
建物だけを取り出したような絵。
現実にはあり得ないのに、そこにあるもの。そこにあることは現実。
この絵に何を見、何を感じるか。小山剛が投げかけた問いに答えても答えなくてもいい。彼は投げかけてなどいないのかもしれない。
今回の小山剛さんの個展は「アクリル画展」と銘打っていますが一部クレパスを使用しています。
この絵は一番クレパスをたくさん使った絵です。
ベースはアクリル絵の具で描かれていますがその上からほとんどの表面はクレパスで描かれています。
アクリル画と言っておきながらクレパスを使うことに特別問題はありませんが気になるところではあります。クレパスを使う理由も聞いてみました。
「アクリル絵の具はあまり伸びがよくなくて下の絵具との馴染みが油絵具のようではありません。その点クレパスは油絵具に似た伸びがあり色と色を馴染ませたいときには使います」と。
乾きの早いアクリル絵の具ではできないことをそもそも乾き具合などないクレパスで補う。
小山さんもサクラクレパス派だそうです。そもそもどうやらクレパスはサクラのオリジナル商品のようですね。
洋画家小山剛さんはほとんどの絵をアクリル絵の具で描きます。洋画家がほぼ油絵具を使う中で少し異色の存在かもしれません。
なぜアクリル絵の具を使うのか?
油絵具も使っていたけれど、小山さんが中学生の時出会ってしまったアクリル絵の具は当時夢の絵具と言われていました。使い方によっては水彩画のようにもパステル画のようにも油絵のようにも描けるという触れ込みでした。
50年近く前のことです。
当時は「夢の絵具」と言われながら開発途上で不備もあった。
それでも開発は日々続けられ、今では随分「夢」に近づいています。
あんなに夢中になってアクリル絵の具の使い方を研究した日々。
自分ほどアクリル絵の具の進化を見続けたものはいないだろうという自負のもと、今でもというか今はというか使っているのです。というのはやっぱり油絵具で描いていた時期もあるから。
人によっては絵具をランク付けすることもあります。日本画の絵具を頂点に油絵具・アクリル絵の具・パステル・水彩絵の具・・・。
それも小山さんにとっては片腹痛いこと。絵具に優劣などない。
もし表現の上で油絵具に叶わない何かがあるとしたらそれを克服すべくアクリル絵の具の使い方を考えればいいし、アクリル絵の具でしかできない表現を追求するのもいい。
小山さんにとって今回の個展のタイトルに「アクリル画展」と入れたのには大きな理由がありました。
「人類の歴史の記憶」を大作に描きこんでいる小山剛さん。
小品に描かれて人物にも通じるテーマでもあります。
目から入る情報が頭に蓄積される。
描かれている人物の目にはその手掛かりになるのかと思われる何かが描かれています。そう思うと目のに映っている何かが気になって仕方がなくなる。
「人類の歴史」といっても大上段に構えた歴史の大きな流れと言うものだけではなく、ひっそりと生きてきた人々の歴史もあろう。それだって「人類の歴史」だ。だからこの目に映っている何かは誰もが知っている何かとは限らない。それでもその「記憶」はその人にとってとても大事な何かなのに違いない。
「記憶」は具体的なものもあるし、抽象的なものもある。
具体的な出来事やモノの場合もあるし、抽象的な感情のこともあるだろう。
人物の目から目が離せない。
小山剛さんが所属する公募団体「新制作」での展覧会ではここ数年このシリーズを出品しています。メイン中のメインとなる作品です。大作でこちらも100号で今回の出品作品中最も大きな作品です。
人物画
人類の歴史が人の頭の中で記憶として残っているならというイメージで描かれた絵です。
人一人の記憶だって膨大なのに人類の記憶の積み重なりとなれば小山さんが一生をかけて描いても描き切れない膨大なテーマでもあります。
人が生きている。生きていた。生きていく。
人であることを意識した時から始まる大命題を小山剛的に絵で表す。