この絵も手描き友禅を思わせる絵です。
小平治さん、絵は芸大で日本画を勉強されました。
下地に金色の絵具を使っているので水彩画ですが日本画的な効果も出ています。
手描き友禅特に加賀友禅のようにも見えるのは色合いかもしれません。
この水色が加賀友禅の藍それも淡い藍に近い。
とはいえ小平治さんは手描き友禅を意識して描いたわけではありません。
彼の身に入り込んでいる感性なんです。
だから多くのみなさんから「あまり見たことのないタイプの絵だね」と言われます。
WHITE MATES bldg.1F 1-14-23Izumi Higashi-ku Nagoya Japan Phone052-953-1839
この絵も手描き友禅を思わせる絵です。
小平治さん、絵は芸大で日本画を勉強されました。
下地に金色の絵具を使っているので水彩画ですが日本画的な効果も出ています。
手描き友禅特に加賀友禅のようにも見えるのは色合いかもしれません。
この水色が加賀友禅の藍それも淡い藍に近い。
とはいえ小平治さんは手描き友禅を意識して描いたわけではありません。
彼の身に入り込んでいる感性なんです。
だから多くのみなさんから「あまり見たことのないタイプの絵だね」と言われます。
小平治さんは現場で絵を描きますが、仕上げはご自宅でなさいます。
その時点でこうじゃなかったと思うこともたまにあるのだそうです。
この絵はそんな1点です。
絵を描く方たちはフィニッシュの意味も込めて最後にサインを描きます。
この絵はサインも入れてしまってから「違う」と思ったそうです。
あまりに悔しくて一度はフィニッシュと思った絵の上から筆を持つのももどかしく絵具を指に付けて修正し続けました。
そんな時小平治さんは「ちゃんと仕上げるからね。」と絵に声をかける。
声をかけるのは最後まで描き上げることへの気合でもあるし、絵に対して一緒に描き上げようねという同志のようなものなのかと思います。
他の絵とは少し違った趣ではありませすが、これも小平治さんの絵なのです。
小平治さんは下描きをしません。
紙にそのまま絵具を塗り始めるのだそうです。
きらきら光る水面を見ている状態で、その印象をそのまま絵にしていく。
いったん記憶の中に入れるという作業をしない。
ある程度その場で仕上げた状態までもっていってからうちに帰る。
見たままでもなく、そこでの印象を素早く絵の中に落とし込む。
もちろん細かい仕上げはアトリエでじっくり描き上げるのですが、その場所で描くことを大事にしているのですね。
在廊日の変更があります。
10月4日(水)以降のスケジュールは以下の通りです。
10月4日(水) 12:00-14:00
5日(木) 13:00-18:00
7日(土) 13:00-18:00
8日(日) 13:00-17:00
今回の展覧会にはいくつかのシリーズがありますが、これは「滝シリーズ」の1点です。
「滝シリーズ」はすべて郡上市の「釜が滝」です。
この滝が好きで滝を描くと言えばここなのだそうです。
小平治さんはその場で描くのが基本なのだそうです。
画材は水彩絵の具なので水が必要です。その水はできるだけその場の水を使う。
この絵は「釜が滝」の水で描いてあるのです。
その場に心を寄せて描く。
大好きな滝の美しい季節。
桜が咲く滝の風景です。
草叢と言う言葉があるけれど、小さな花が咲き乱れるところを「花群(はなむら)」と言ってもいいのだろうか。
そういう場所に中心はない。
現実に目にする風景には実は中心になる部分がないことがほとんどのはず。
それなのに絵にするときには一番目が行く場所を作ろうとします。
言いたいこと見せたいところはそこに目が行くように描く工夫をするのは画家の常套手段だし、それは間違ってはいない。
中心を作らないことは間違っているのだろうか。
画家の心は画家の数だけ違っている。ずっとずっと同じ花が咲いているさまが美しいと小平治さんが思いそれを伝えたいと思ったのならそれは小平治さんの正解なのだ。
小平治さんは着付け師でもありますのでいつもたくさんの着物と生活しています。それだけではなく家業が貸衣装屋さんを営んでいた、今も貸衣装屋さんでもあるという生まれ育ち生業(なりわい)なのです。
いつも呉服に囲まれていた。それは尾形光琳をはじめとした何人かの著名なの画家の環境にとてもよく似ています。
そういう目で見てしまうせいか、小平治さんの絵は手描き友禅を彷彿とさせるものがあります。特に少しお年を召した方にふさわしい落ち着いた黒留袖の柄を見ているような錯覚に陥ります。
柄といっても留袖の場合着物地に描かれているので「柄」と言ってしましますが、「絵」ですよね。
そんな話を小平治さんとしていると「自分の育った環境が絵にいい影響があるのなら、それは嬉しいことです」とおっしゃっていました。
彼の絵はいろいろな場所に行って自分が感動したらその場で描くのだそうです。
好きな風景を小平治の目を通して見て、そして小平治の手で描きだすと、それは小平治の風景になる。
「羽化する時間ー板倉鉱司銅版画歌集出版記念展」本日最終日です。
次回のプリズムは9月28日(木)-10月8日(日)*火曜休廊「着付け師小平治の風景画展」です。
「春の日は地面に生えた雑草とリルケの影が並んで伸びる」
銅版画歌集「空を飛ぶ方法」の最後のページにある版画と短歌です。
初めてプリズムで個展を開いてくださったときから「僕の作品はリルケの詩を形にしたものです」と何度もおっしゃっていました。リルケに深い関心を寄せていた板倉鉱司さんですから、版画も彫刻も短歌もリルケの影響を受けての創作活動です。
リルケの深い思想を誰にでもわかる言葉や形で私たちに伝えてくれる板倉さん。
どんなに素晴らしい発想でも難しい言葉や一瞬で分からない形では多くの人に伝わらない。学生の頃「難しいことを易しい言葉で人に伝えられるように努めなさい」と教わったことがあります。伝えたいことの真髄がわかっていないから難しい表現に頼ってしまうということだとその時理解しました。
わかり易いということは幼稚と言うこととは違います。
物事の深いところを板倉さんのようにわかり易く表現してくれることに本当の優しさを感じます。
板倉鉱司さんの作品には動物・昆虫・草・花(主に雑草)がよく登場します。
どんな小さな生き物にも板倉さんの眼差しは優しい。
ネットで調べても「フタスジアオタマムシ」は出てこないんだけど、板倉さんの大切な友達的な存在なんだと思います。あるいはめったに会えないあこがれの存在。いずれにしても大切なことにかわりはない。
一緒に飛ぶ方法を模索中?
夏空をキラキラ輝く羽根を広げたフタスジアオタマムシと一緒に板倉さんの心もブンっと飛ぶ。
立体作品の展示ではライティングの加減で思わぬものが見えることがあります。
2点並んだ展示台の向こうの壁に面白い影ができました。
板倉作品ならではのうふふな影です。
影は案外正直だから板倉作品のすごくいいところをばっちり見せてくれました。
さてなんでこんな影になるのかは会場で見つけてください。今日も含めてあと4日。まだまだチャンスあります。もっともっと素敵な発見だってあるはずです。